ほぼ成功していた禁煙に一瞬の油断で破れた私は、完全に昔の喫煙状態に戻ってしまった。これではいけないと思いながらもなかなか再度の禁煙の決意ができず、ずるずると約3年の月日が流れ、平成13年を迎えた。
その2月のある日、私は喫煙を続ける二人の息子を前に突然「4月1日より我が家を禁煙にする」ことを宣言してしまった。3人の喫煙で我が家は喫煙場状態となり、家全体がとんでもなくたばこ臭くなってしまった。ヘビースモーカーの自分でさえ臭いと思うほどである。私の宣言に息子達は半信半疑だったであろう。いずれ取り下げると思っていたかも知れない。しかし、結論を言えば、この宣言は実行に移され、平成13年4月1日より我が家は禁煙となった。
と同時に私は再度の禁煙を実行せざるを得なくなった。これも結論から言うと、私の禁煙は完全に成功した。平成16年9月30日の今日現在、私は完全な非喫煙者として気持ちの良い毎日を送っている。しかし実際に禁煙に入るかどうかでは悩んだ。4月1日にスタートしてからも悩んでいた。今日なら「エイプリルフールを知らないのか」などと言えば取り消せるかも知れないと真剣に考えていた。この迷いを消してくれたのが、禁煙セラピーという今でも本屋にうず高く積まれている本だ。迷いを吹っ切るべくこの本を手にして一気に読み終えたとき、私はもう二度と喫煙しない男になっていた。禁煙希望者は騙されたと思ってこの本を読んでみるといい。禁煙したい気持ちさえあれば、書かれていることが素直に耳に入ってくる。禁煙に成功する人も出るだろう。
しかし禁煙の開始とともに、私の体重は再び増加し始めた。元々一旦リバウンドして高止まりしていた体重である。どんどん増加し、絶対に超してはいけないと自分で設けた制限値の80キロに限りなく近づいてきた。何とか大台入りは防いでいたものの、本格的な減量は困難であった。いずれ再びダイエットしなければならないとは思うもののなかなかその気になれない日々が続いた。禁煙は、子供達への見栄もあって、自分を追い込んで成功したものだ。減量となると自分との戦い以外何もない。毎日確実に太くなるおなかのあたりを眺めながら、決断できない自分を嘆く日々であった。
このように煮え切らない毎日を過ごしていた私が、ついに本格的ダイエットに入ったのには少し訳がある。
平成16年の6月の終わり頃、突然「もう一度ゴルフをやってみよう」という気持ちが湧いてきたのである。自分でも不思議だが、蕎麦打ちとパソコンの両方にちょっとした飽きが来て、心にできた隙間にすっと入り込んできたのがゴルフだったと言えばいいだろうか。昭和50年に始めたゴルフは今年で実に30年、長くやってきたものだ。一旦は自称シングルまで行ったものの、蕎麦やパソコンに熱中するうち趣味としての順位が下がり、回数が減ることで一層スコアが下がり、さらにゴルフへの関心を低めるという悪循環に陥っていた。それが突然趣味の中の順位を上げた。その理由はよくわからない。前述した通り心の狭間にすっと入り込んできたものだ。
54歳という年齢を考え、このままでは終わりたくないという気持ちが出てきたのだろうか。何しろあれだけ打ち込んできたゴルフであるのに、この10年ほど、心から楽しい気持ちでゴルフをやったことがない。ドライバーを打つときは常に「うまく打てるだろうか」と心配になり、結果はいつもの引っかけ玉であったり、チョロだったり、ひどいときにはOBだったりした。いい当たりが出ないのである。これではゴルフが面白いはずがない。
もう一度楽しくゴルフがしたいという気持ちもあったかも知れない。これから年を取ってもできるスポーツはゴルフぐらいしかない、そのゴルフが面白くないのではつまらないではないかという気もあった。長年のライバルで今は負け続けている友人にもう一度勝負したいという気持ちもあった。要するにこういう様々の気持ちが一かたまりとなって「ゴルフをもう一度」ということになったのである。
ゴルフとダイエットのどこが関係あるのかと思われるかも知れない。私の中ではしっかり関連している。というのは、体力がキーワードになる。中年を過ぎようとしている私がもう一度ゴルフをやり直すには、やはり基礎体力が問題である。そのためには運動が欠かせない。ということで、まずは自宅の周りを歩くことから始めた。しばらく歩いたが足腰を鍛えるには不十分だと気づき、自宅近くの階段を上り下りすることを始めた。同時にその途中で、ドライバーの素振りを行うこととした。足腰を鍛えつつ素振りを繰り返す。
一方で、血圧が高めとなり、今年に入ってからは降圧剤を飲まされるような状態になっていた。また、父が糖尿病で亡くなったことや、尿酸値が高く常に痛風の危険があるなど、健康維持の上でも何とか痩せなければならないという自覚が芽生えていた。また、風呂で裸の腹回りを見るたび、こんなことではいけない、何とかしなければと言う気持ちも次第に高まっていた。こういう事情を背景に、運動を始めたことが契機となり意外に自然な形で減量作戦が始まることになった。
その第一歩は、妻に頼んで食事を低カロリー食に変えてもらうことであった。野菜、キノコ、豆腐、こんにゃくなどカロリーが低い、ないしは殆ど無いものを中心の食事にしたわけだ。ご飯も従来の半分くらいに減らした。油ものは御法度。余り意識しないうちにすーっと自然体でダイエットに入り込むことができた。ちょうど7月8月という夜の会食が少ない時期に当たり比較的自宅で夕飯を食べることが多かったことも成功の一因だ。この調子でしばらくたった頃には、驚いたことに、天ぷらや炒め物を見ると、食べたいと言うより、毒だという気持ちの方が強くなっていた。私なりに完全にモードに入ったというかゾーンに入ったというか、要するにその気になったのである。体重が少しずつ減少し始めると、減量にはますます拍車がかかる。減量を成功させるこつは、それ自体を趣味にしてしまうことだ。そういう意味では、何にでもはまりやすいタイプの人はいざとなれば減量もやり易そうだ。さしずめ私などがこれにもろに該当する。
しかし今回は前回のリバウンドという結末を意識し、余り急激な減量とならないよう慎重に進めることにした。1ヶ月で2キロ程度の減量。これが目標である。前回の半分である。今回も初めの2週間はなかなか効果が出なかった。気持ちの入り方が薄いとここでダイエットは終わりになってしまうが、何しろ今回はゴルフとダイエットのリャンハン縛りである。この程度のことではへこたれない。
6月の終わりに78キロほどあった体重は、徐々に減り始め、ほぼ1ヶ月2キロという当初の目論見通り進行して、10月1日現在、72キロ台にまで減った。この上は、身長176センチの私の標準体重である68キロまで減量しようと新たに決意を固めた。たまたまではあるが、私の人生の大半はちょうど今の体重、72キロ台だった。ただ全身の筋肉が落ちた分ウエストは太くなっており、まだ以前のズボンは入らない。しかし直前まではいていたズボンはげんこつ二個を入れてもまだ余るぐらいになった。仕立て直ししてもらわないと格好が悪くてはけない。実に嬉しい気分である。と同時に、こんなに脂肪が腹部を取り巻いていたのかと恐ろしい気持ちにもなる。
ウエストが6センチ以上細くなった。直径にして2センチ。腹の脂が周囲1センチ無くなった計算になる。快適だ。風呂で鏡を見ても、トイレで鏡を見ても違和感のないウエスト。一体以前はどんな格好だったのか今では想像しにくい。なぜもっと早くやらなかったのかと後悔する毎日である。血圧も肝臓の脂肪も改善した。悪いことは何一つ無い。あとは皆さんの決断だけ。後悔することはないと思う。注意するのはリバウンドのみ。今回は前回の失敗を生かさなければ、、、、、
ここで私の減量法を紹介しておこう。食事については直前に書いた。エネルギー源となる炭水化物の量を減らすこと、単位重量当たりで最もカロリーの高い脂ものには手を出さないこと、これらが肝心である。空腹感を満たすためには、こんにゃくやキノコ、野菜など低カロリーのものを多く食べる。しかし食べたいものを一切摂らないようにすることはかえって害がある。食べたくて仕方がないときは、少し食べる。沢山はダメ。これが肝心。現に私はステーキも食べるし、すき焼きも食べた。焼き肉のパーティにも出た。脂を残す、脂の少ないところを食べる、量を減らす、などで乗り越えた。ビールは減らすべきだ。お酒も少々はいい。焼酎なら幾ら飲んでもいい。現に私は焼酎は無制限だ。しかしつまみは控えている。
このように全体としては普通の生活である。ご飯の量を3分の2くらいにし、脂ものを避け野菜などカロリーの低いもの中心とする。ビールはコップ一杯に制限する。甘い缶コーヒーやジュースなどのドリンクは飲まない。常にお茶か水。間食はできるだけやらない。夜9時以降はできるだけ食べない。おやつはできるだけ食べない。いずれも「できるだけ」である。体操やウオーキングを1日30分程度。
以上のことが実行できれば1ヶ月2キロとはいわなくとも1キロは確実に減量できる。それを続ければ半年で6キロ減量できる計算だ。ポイントは、長く続けられるものであること、根気よく続けること、無理なことはしないこと、何でも食べていいが沢山は食べないこと。これくらいだ。 同時に、適度の運動とよく言われるが、これは必須だ。減量すると身体の脂肪だけでなく筋肉も細る。筋肉を鍛えることでこれを減らさないようにしないと、基礎代謝量が減りリバウンドしやすい身体になってしまう。脂肪はエネルギーを消費しないが、筋肉は消費する。筋肉質の身体は太りにくいのである。
私は現在、夜のウオーキング、素振り、階段登りと朝は体操をしている。NHKのみんなの体操、ラジオ第一体操、ラジオ第二体操これら三つの体操を一つに編集したビデオを見ながら体操する。約12分かかるが、それだけで体中汗びっしょりになる。ラジオ体操はとても良くできた体操である。体中の必要な箇所をほぐし、伸ばしてくれる。これらの体操の主眼が関節を動かすことに置かれていることに最近気づいた。中でも肩の関節を動かすものが多い。肩の関節はほぼ自由自在にあらゆる方向に動く。それだけ複雑だということでもある。これが具合悪くなると五十肩になる。そうならないためにも体操が大切である。私はこの体操を始めて以来、毎日が快調である。ビデオを見ながらの体操の良い点がある。それは、もう一つ気が乗らない朝もテレビに合わせてやっているうちに一通りの体操ができてしまうということである。記憶に頼って体操するのではこうはいかない。また、ビデオにしたことで時間に縛られない。朝の起床時間は必ずしも毎日同じとは限らない。目が覚めたその時間から始められる。長続きしている一つの理由かと思っている。さらに、できれば妻や家族と一緒にやれれば素晴らしい。一人だけはやめにくいというメリットもある。
体操に引き続きスクワットを100回やる。女優の森光子さんは80歳を過ぎて75回やっているそうだ。芝居で若い役をやるときは身のこなしのスピードが必要とのこと。役者の根性はすごいものだとただ感心する。もう少し若い私としては100回はやらなければ格好が悪い。腕を頭の後ろに組み、膝を曲げて伸ばす、こういう単純な運動である。しかし、100回やると結構効く。こういうのも毎日行えばかなり効果がありそうだ。ただ、森光子さんは夜も75回やっているそうなので、若者も自慢はできない。
以前は駅やビルで階段を上ることを忌避していたが、最近は余り苦にならなくなった。スクワットの効果もあるものと思う。まさに継続は力である。体操を始める前は、朝起きて目が覚めるかさめないかの内に朝ご飯を食べていた。ほぼ起きると同時であった。まだ内蔵が十分起きていないうちに食べ物を入れてしまうのは身体に負担がかかるだろうとは思いながら、長い間の習慣となってしまっていた。この悪習を止められただけでも体操の効果は大きい。
本日、平成16年10月4日。ダイエットを始めてちょうど3ヶ月が経過したことになる。今朝の体重は71.9キロ。ほぼ月2キロの割合で順調に減量してきたことになる。この間、ズボンの仕立て直し2着。ウエストは約100センチから93センチ程度まで細くなった。何より、ワイシャツを楽に着られるのが嬉しい。首がきついのは嫌なものだ。首やあごの周りがすっきりとし、会う人毎に「痩せましたね」と言われるのも、また嬉しいものだ。以前は首がきつくて仕方がなかったワイシャツも今は楽に着られる。これこそ、自己コントロールの賜物。大いに自慢したい気分だ。
前回、リバウンドしてしまった原因を検討する必要がある。
第一は、目標の体重に達した時点で「終了」宣言をしてしまったこと。大声で言ったわけではないが、自分の心の中で叫んでいたことは事実。終わったと区切りをつけた途端、これまで食べたくとも我慢していた様々の高カロリーのものが私を襲ってきた。焼き肉、トンカツ、天ぷら等々。終わったと考えた瞬間にぷっつんしてしまった訳だ。我慢の反動で全く抑制が効かなくなってしまった。結局ダイエットは一旦やり出したら一生続けるつもりでないとダメだ。決して終了宣言を出してはいけない。これが教訓である。そのためにも極端な節制はかえって有害である。時には、高カロリー食品も食べて食欲を満たすことが必要だ。それで生涯続くダイエットができる。(かもしれない)
第二は、前にも書いているが、ダイエットに併せて適度な運動をして、身体を筋肉質に変えていく努力が重要である。運動はその行為によってカロリーを消費するというだけではない。それ以上に筋力アップにこそ意味がある。それにより基礎代謝量を増やすのだ。しかしこれも長続きさせることが大事なので、無理は禁物である。毎日ないしはほぼ毎日できる運動を続ける。この続けるということが重要だ。まさに継続は力なり。
しかし続けることは容易ではない。人間とは怠惰な動物だと思う。楽しいことは幾らでもするが、そうでないことは怠けたがる。一回怠けると次が余計辛くなる。できれば毎日の運動を楽しいこと、やりたいことにしてしまえば問題はきれいに解決するのだが、私の場合でもまだそこまでには至っていない。やらなけりゃいけない、その気持ちで頑張っている。どうして人間の遺伝子の中に運動が楽しくてしようがないと思う遺伝子を組み込んでくれなかったのか、、、、
人間の身体はびっくりするほどうまく作られている。例えは余り良くないが、尿道の話を聞いた。男の尿道はライフル銃の筒の中のように液体が螺旋状に回転しながら出て行くよう、いわば螺旋状に溝を掘ったような形になっているそうだ。そのお陰で、液体が四方に飛び散らず、一定の方向に纏まって出て行く。足や服を汚さなくてすむ。
こういう尿道を進化の過程で手に入れたことになるのだが、螺旋構造を持った男と持たない男がいたとして、持たない男が死滅してしまうほどの必然性はあったのだろうかと、私はよく考える。その考えは、人間の遺伝子は進化したのでなく、誰かが作ったものではないだろうかというとんでもない疑問に行き着く。
これは永遠の疑問であって簡単に結論が出るものではないが、ここまで人間を精密に作ったにもかかわらず、どうして太りすぎない遺伝子を組み込んでいないのかが次の疑問である。それさえあれば、我々はこんなに苦労しなくとも良かったのに、、、、
仕組みは簡単である。一定以上の不要な栄養素をは身体に取り込まないようにするか取り込んだものも体外に排泄するか。人間の内臓が行っているとてつもない活動から見れば、機能さえ与えておけば何の問題もなく実行できた気がする。
しかしそうはならなかった。考えられる最大の理由は、これほどの飽食の時代がくるとは誰も想像できなかったことだろう。常に食糧は不足する。だからもし今ふんだんにあるのならそれを身体にため込む。つまり排出するなどとんでもないということである。人間の進化の過程で今ほど沢山の食料に囲まれている時代はなかった。いや、今でもそういう恵まれた人間は一部に過ぎず、飢え死にする人も沢山いるのが現実だ。今私が述べてきたことは、まさに神をも恐れぬ傲慢な人間のけしからん妄想なのである。 さらに考えを進めよう。万一絶対太らない体を持っていたらどうなったであろうか。それが食欲が無くなるという形なら特段の問題は生じなかったかもしれない。しかし万一いくら食べても太らないという形態であると、大変なことが起こっていた可能性がある。つまり食欲が無限となり、勝者の先進国の民は食べまくり、その他の民の飢え死にの確率はいっそう高まる、、、、まあ、食料を無駄にする先進国の現状はまさにこれにあたるのかも知れないが。
しかし、その肥満によって人類はひょっとすると滅亡に向かうのかも知れない。体重コントロールができないものは確実に地球上から消えていくことになるだろう。太りにくい遺伝子を持ったものは幸せである。太りやすい体質の者は同時に強い自己コントロール力を持たなければいずれ負け組に入り地球上から退場せざるを得なくなるであろう。
例えば、肥満系と非肥満系が100人ずついたとしよう。もし肥満系が成人して子供をなすまでに1%死亡するとすると第二世代は100対99だがこれが100世代目になるとどうなるか。計算が面倒なのでやらないが、殆ど消滅しているはずだ。一世代30年交替として100世代はわずか3000年に過ぎない。人類の進化の過程から見ればほんの瞬きするほどの間である。もっとも肥満系の方が子供好きで生涯で子供をなす率が非肥満系よりいくらか高いというような事実でもあれば結果は違ってくる可能性はある。