スコータイ

 スコータイは、アンコール朝の支配下であった。アンコール朝のジャヤバルマンⅦ世(アンコール・トムを築いたことで知られている)がなくなると、王朝の支配力の衰弱を突き、ポークンバーンクラーンハーオとポークン・パームアンがクメール人を追い払い、ポークンバーンクラーンハーオが、ポークン・シーインタラティット王として即位し、スコータイ王朝が発足した。この王朝は、タイ人による史上最初の王朝である。
 3代目ラムカムヘン王の時代に、スコータイ王朝の絶頂期を迎えた。この頃から、初めてタイ語で書かれた碑文が登場している。
1362年、リタイ王は、アユタヤー王朝、ルアンパパーン王朝(ラオス)に対抗するために、都をピサヌロークに遷都した。
なお、1438年、タンマラーチャーⅣ世がなくなると、王位継承者不在のためアユタヤー王朝に吸収され、スコータイ王朝は滅亡した。

 スコータイ空港
 公園のように花が咲き乱れ、きれいな空気と青い空の中におとぎの国のような建物があった。空港のイメージとかけ離れていたので写真を撮ってしまった。

スコータイ遺跡公園(ムアン・カオ)

スコータイの遺跡群が森林に埋まっていた。これを、タイ文部省芸術局とユネスコが整備・保存した。この公園は、城壁に囲まれており、5地区に分かれている。各地区の見学料は、城壁内が40バーツ、城壁外が30バーツである。全ての通し見学料は150バーツである。10バーツ=27~30円なので、私たちは、通しのチケットを買った。

ワット・スィー・サワイ

 12世紀~13世紀にクメール人によって建てられたヒンドゥ教の寺院である。その後、タイ族により仏教寺院に改修されたといわれている。


中央の塔は、クメール様式である。


ワット・マハタート

 1345年、スコータイ王朝初代シーインタラティット王が建設し、6代目のリタイ王が改修した王室守護寺院として繁栄した。
 かつては、これらの列柱の上に屋根がかかっており、壮大な本堂であった。

 上の写真の中央の仏像です。



ワット・スィーチュム

 屋根の無い狭い堂の中に巨大な仏像が安置されている。入口の隙間から仏像が見える。
この仏像はアチャナ仏と呼ばれていことや、1292年にラム・カムヘン王が作らせたことなどが碑文から分かっている。

 アチャナ仏
 この仏像の横から仏像の中に入る扉があり、戦場に向かう兵士が祈願に来ると、僧侶が仏像の中から武運達成の言葉を伝えたといわれている。声は仏像の中で反響し、あたかも仏が言っているように聞こえ、祈願した兵士や家族が励まされたようだ・・・と説明した人が言っていた。