田無のおいたち


プロフィール
田無は、江戸時代から青梅街道の宿場町、そして北多摩地区の人々の生活を支える商業の 拠点として栄えてきた古い歴史を誇る町です。
昭和42年1月1日に市制を施行し、東京で16番目、全国で563番目の市となりました。
人口 世帯数31,000、人口74,900人(平成8年9月現在)
面積 6.8K  (全国で4番目に小さい市です。)
位置 東経139度32分29秒,北緯35度43分21秒(東京都のほぼ中央)

地名の由来
「田無」の地名が見られるもっとも古い文献は、 永禄2年(1559)の後北条家の文書「小田原衆所領役帳」で、 「一,大田新六郎知行廿七貫五百文 同田無南沢」 (同とあるのは江戸で,南沢とは現在の東久留米市)と記されています。
「田無」の地名は,「逃水の里」と言われるほどに水に乏しい荒野であったために田ができず, すべて畑であったところから「田無」と名付けられたといわれてきました。
これは、「新編武蔵風土記稿」の中に記されている。
「土性は黒土にて,皆畑なり,故に{田無村」と称すと云う,されど此辺皆畑の村多し, 然るを当村のみむかく唱ふは外に故ありや,今より考ふべからず」から来ています。
このほかに,日本地名基礎辞典などの書物に述べられている「田成(な)し」が「田無」 となったという説や,田無村は租税の収奪が他村に比べて厳しかったため, 穀類の種類まで奪い取られることもしばしばで周辺の村々では「種ナシ」の村と呼ばれ、 これが「田無」になったという説もあります。




現在の田無駅周辺の風景↑
田無の年表
人口の移り変わり

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