2004年8月帰国、2005年8月ベネチア大学卒業

無事に日本語研修を終え、8月に帰国しました。帰国後、卒論(現代日本女流作家論)を提出し、12月の卒論審査をパスして翌2005年3月ベネチア大学日本語学科を無事に卒業しました。現在、MANGA(漫画)の翻訳家としてデビューし、活躍中です。

早稲田の日本語研修修了証をかざすステファニア and 卒論発表を終えて主任教授と握手するステファニア

2001年の夏に、Universita ca Foscari(ベネツィア大学) で日本語を専攻している大学2年生が我が家にホームステイした。夏の休暇を利用して日本語研修のために来日し、横浜の日本語学校で勉強した。 イタリアは、北イタリアの小さな町、サンタ ジュスティナ生まれで、彼女の名前は、ダポント ステファニアという。お父さんはルディさんといい、お母さんはドロレスさんという。

このサンタ デュスチナについて、最初に少し詳しくご紹介しておきたいと思う。
ベネツィアの北約80Kmにベルーノ(Belluno)があり、ベルーノの南西30kmに紀元前ローマ時代から続く古い都フェルトレ(Feltre)がある。古都Feltreは、北に美しいVETTE FELTRINE(フェルトレの山)を従えている。 サンタ デュスチナは、この2つの街のほぼ中間点、ピアーべ川(F. PIAVE)の北岸に沿って存在する。この川は、源をはるか北のドロミテ(山塊のオーストリア国境近く)に発し、ベネト地方を流れてベネツィア湾にいたる。

ベネツィアから北に80km走ると、そこはドロミテ(山塊)の南の一角である。ドロミテ特有の白い頂きを持った、鋭い姿をした山々に囲まれている。サンタ デュスチナの北には、M. TRE PIETRE (1965m), M. PIZZOCCO(2186m)がすぐ近くにそびえ立っており、現地ではいつも(見るところによって)姿を変える山として親しまれている。南を流れるピアーべ川(F. PIAVE)は豊富な水量に恵まれており、その水を使ってベネト地方でも有名な製紙工場が稼動している。 

2002年の夏に、ステファニアの実家を訪問して旧交を温めるとともに、彼女の案内で北イタリアを探訪した。彼女との日本語による共感を通して、イタリアとイタリア人、イタリアの歴史と文化を深く理解する旅となった。

2003年秋に、イタリアから交換留学生が来日しました。ベネツィア大学と早稲田大学の交換留学生として日本語研修のために来日しました。我が家にホームステイしました。

2004年8月に日本語研修を終えて帰国、帰国後、卒論(現代日本女流作家論)を提出し、12月の卒論審査を経て翌2005年3月にベネチア大学日本語学科を無事に卒業しました。

ホームステイが1年間と長かったので、2004年夏の別れはたいへんつらいものでした。彼女は、12月の卒論審査を経て翌2005年3月にベネチア大学日本語学科を無事に卒業し、イタリアでMANGA(漫画)の翻訳家としてデビューしました。私たちにとってこんなにうれしいことはありませでした。私たちもいつか知らないうちに別れのつらさを乗り越えることができました。

インドカレーのお店で最後の晩餐 and 双子のももななちゃんとの別れ and 一緒に日本に留学していたイタリアのお仲間らとお別れ会

帰国後、ステファニアと同じ2005年に大学を卒業したフランチェスカさん and 同じくエリザさんです。

ホームページへの連絡をお待ちしております。

ホームページへもどります。