2006年4月15日、インターンシップのために再々来日

7月13日までの3ヶ月間、国際的なロジスチックス会社の日本支社でインターンシップ勤務することを目的に来日しました。会社勤務の経験を積むかたわら、さらに日本文化(と日本語)を勉強するための来日である。

事務所ビルの前でポーズをとるステファニア and 虎ノ門ビジネス街(事務所1階はイタリア系コーヒー店)

2001年の夏に、Universita ca Foscari(ベネツィア大学) で日本語を専攻している大学2年生が我が家にホームステイした。夏の休暇を利用して日本語研修のために来日し、横浜の日本語学校で勉強した。 イタリアは、北イタリアの小さな町、サンタ ジュスティナ生まれで、彼女の名前は、ダポント ステファニアという。お父さんはルディさんといい、お母さんはドロレスさんという。

このサンタ デュスチナについて、最初に少し詳しくご紹介しておきたいと思う。
ベネツィアの北約80Kmにベルーノ(Belluno)があり、ベルーノの南西30kmに紀元前ローマ時代から続く古い都フェルトレ(Feltre)がある。古都Feltreは、北に美しいVETTE FELTRINE(フェルトレの山)を従えている。 サンタ デュスチナは、この2つの街のほぼ中間点、ピアーべ川(F. PIAVE)の北岸に沿って存在する。この川は、源をはるか北のドロミテ(山塊のオーストリア国境近く)に発し、ベネト地方を流れてベネツィア湾にいたる。

ベネツィアから北に80km走ると、そこはドロミテ(山塊)の南の一角である。ドロミテ特有の白い頂きを持った、鋭い姿をした山々に囲まれている。サンタ デュスチナの北には、M. TRE PIETRE (1965m), M. PIZZOCCO(2186m)がすぐ近くにそびえ立っており、現地ではいつも(見るところによって)姿を変える山として親しまれている。南を流れるピアーべ川(F. PIAVE)は豊富な水量に恵まれており、その水を使ってベネト地方でも有名な製紙工場が稼動している。 

2002年の夏に、ステファニアの実家を訪問して旧交を温めるとともに、彼女の案内で北イタリアを探訪した。彼女との日本語による共感を通して、イタリアとイタリア人、イタリアの歴史と文化を深く理解する旅となった。

2003年秋に、イタリアから交換留学生が来日しました。ベネツィア大学と早稲田大学の交換留学生として日本語研修のために来日し、我が家にホームステイしました。後学のために交換留学生の生活を記録に残しました。(ホームページに戻って、「2003年秋、イタリアからの交換留学生」を参照されたし)

2006年4月15日に、インターンシップのために再々来日しました。7月13日までの3ヶ月間、国際的なロジスチックス会社の日本支社でインターンシップ(研修勤務)することを目的に来日しました。会社勤務の経験を積むかたわら、さらに日本文化(と日本語)を勉強するための来日である。

2006年4月15日、インターンシップのために再々来日
(写真はすべてステファニアの作品である)

今回のインターンシップは、ベネツィア大学に寄せられた情報から始まった話である。詳しく調べてみると、日本でのインターンシップだと言う。期間は3ヶ月で日本語(での)勤務とのことであった。かねてよりビジネス(オフィスで)の体験にも興味があったし、さらなる日本語(と日本文化)探求の得がたい機会でもあると考えて応募した。

会社は、ドイツのハンブルグに本社がある、1887年に設立されたロジスティックス会社の日本支社(日本法人)である。日本支社の事務所は、東京虎ノ門にあり、地下鉄の虎ノ門からも便利なところである。今回は事務所勤務と言うことで(通勤の都合も考え、横浜でのホームステイではなく)、会社がアレンジしたゲストハウス(人形町)に決めた。ワンルームだが、3ヶ月(の限られた期間)なら問題ないと思っている。地下鉄日比谷線一本で通勤できるのでたいへん便利である。

報酬だが、インターンシップはその言葉どおりあくまでも研修勤務なのでわずかである。ゲストハウスの費用を差し引くと手元に少々の小遣いが残る程度である。往復の飛行機代(航空運賃)はもちろん自前である。インターンシップについては、要は如何に有益な経験を積むかである。事務所ではイタリア人も働いており(1人は同じベネツィア大学日本語学科の同窓)、たいへん明るい国際的な雰囲気で気に入っている。

週末には横浜の雨宮家に伺ってリラックスした楽しい時間を過ごし、奥様にはおいしい料理を、ご主人様には漫画翻訳のための日本語講座を講義していただている。雨宮家はかってホームステイしたお家なので、実家に帰省したような感じがあり、訪問が楽しみである。ご主人様の日本語講座は丁寧でエスプリに富んでおり、私にとっては日本語を深く理解する上で大きな手助けになっている。ありがたいことである。大船の行きつけのレストランでの食事も楽しみである。(ステファニアを主人公に雨宮が記す

4月15日(土):成田空港着。1年半振り3度目の来日。ご友人の鈴木ご夫妻(東京都国立市に在住)の出迎えを受けて東京人形町のゲストハウスに落ち着く。

4月16日(日):横浜(の我が家)に来訪。1年半ぶりに再会し、お互いの健康を祝う。

5月14日(日):土曜日に来訪して一泊。大船観音に参詣し、境内を散策。神奈川県の広島原爆慰霊碑がある。

5月31日(日):横浜の雨宮さんが友人と東京探訪。帰りに身元保証人として東京事務所を検分してくれる。頼もしいうれしい訪問である。ビル1階のコーヒーショップでしばし(東京での)仕事談義に花が咲く。

6月某日お台場の温泉に出かける。交換留学生として前回来日した時以来の友人2人と。着付けはいまいちだが、浴衣としゃれている。 

6月11日(日):日本橋・日枝神社の例祭に参加してお神輿(おみこし)を担ぐ。実は街でお祭りのビラをもらったところ、そこにお神輿の担ぎ手を募集する話が載っていたので、現在日本に滞在中のイタリアの友人(南イタリア)を誘ってメイルで応募した次第である。世話役(の旦那さん)がたいへん親切にしてくれた。貴重な楽しい思い出の一つになった。世話役の旦那さんが、帰国する前に仲間で集まって送別会をしてあげるよう!、と言ってくれた。感激!

お神輿の前でポーズをとる私ステファニア(左)とフランチェスカ and 旦那衆とお神輿を担ぐ私たち
フランチェスカは、大学で日本語を専攻した、南イタリア出身の友人である。前回の来日時に日本で知り合い、日本語と日本文化をとおしてたいへん親しくなった友人である。彼女は今年9月から大阪の大学で言語学を研究することが決まっており、現在その準備をしている。彼女はもう立派な日本通である。

6月17日(土):イタリアの友人2人(フランチェスカとエレナ)を誘って鎌倉アジサイ巡り。アジサイの見頃を見計らって極楽寺成就寺長谷寺コースと、東慶寺〜明月院コースを目指す。この日長谷寺はたいへんな混雑で、入るのに2時間も待たされた。と言うことで明月院コースには残念ながら行けず仕舞い(いけずじまい)であった。 ガクアジサイ(額紫陽花)もきれいに咲いていたのでアップで撮る。長谷寺と言えばアジサイですが、たくさんの石地蔵さんでもよく知られているそうである。伽藍(がらん)の不思議な美しさにも魅了された。

長谷寺の丘から茶屋を望む and フランチェスカ(左)とエレナ(右) and 私ステファニアとアジサイ
エレナは、ベネツィア大学日本語学科の同窓である。先頃3ヶ月の予定で日本(文化)探訪の旅に来日し、東京でフランチェスカとも知り合いになったと言うので、今回三姉妹の鎌倉アジサイ巡りとなった次第である。北イタリアの出身である。ロミオとジュリエットのモデルの町として有名なベローナやガルダ湖(Lago di Garda)に近い所だそうである。ベネツィアとミラノ(へは列車が便利である)のちょうど中間点とか。

6月某日:職場のお仲間と楽しい一時。

事務所でお仲間と歓談 and イタリアから来ている職場のお仲間と

6月24日(土)フランチェスカに誘われて隅田川のウオーターフロントを散策。

6月〜7月某日:友人との楽しい一時。前回の来日時にイタリア語が縁で友人(鈴木さん)ができ、以来楽しい交流が続いている。今回の来日時には成田まで迎えに来ていただいたり、お世話になる。今やステファニアの日本と日本文化理解のためにはなくてはならない大切なご友人の1人である。鈴木さんが東京のイタリア語仲間を紹介してくれる。東京ではさらに友人の輪が広がった。

イタリア語が縁で知り合った友人たちと歓談 and フランチェスカとおいしい料理を

7月2日(日):フランチェスカと彼女の友人を交えて川越を探訪。古い街並みを楽しむ。良く保存されていることに感心する。神社で「茅(かや)の輪くぐり」を体験して感激する。

7月某日:ゲストハウスの仲間(ダヴィド・和斗孫)から剣道のことを教えてもらう。どう似合うでしょう。和斗孫さん、ありがとう。

まず胴着を着けて and 最後に面を着けると<女剣士に

7月8日(土):日本滞在最後の週末を横浜(の雨宮家)で過ごす。教授(自称)から最後の日本語講座。最後の晩餐。また日本滞在の疲れを癒すために、晩餐後にそろって近くの温泉(湯快爽快・たや;数年前に開業した天然温泉)に出かける。大きな野天プロもあり、日本の温泉文化をたっぷり堪能。

7月9日(日):親戚も交えて最後の歓談。双子の孫との最後の交流。大船の駅まで見送る。別れはいつもつらいことである。お互いに再会を約束する。また必ず日本に来ること、また必ずイタリアを訪問することを。

7月9日(日):お神輿仲間から招待されてお神輿の月例会に出る。送別の宴と名付けてくれた。日本文化を深く理解する機会となる。

7月11日(水):事務所で最後の勤務。期間はわずか3ヶ月であったが、たいへん有意義な研修勤務であった。事務所の皆さんにはいろいろお世話になりました。親切に心から感謝。みなさん、是非ともイタリアに遊びに来て下さい。

事務所のビルがなつかしいです。 and 事務所のみなさん、ご親切は忘れません。

7月12日(水):ゲストハウスの片付け。夕方、イタリア語の鈴木さんが来られてお別れの挨拶を交わす。お互いにしんみり。堅く再会を約束する。

7月13日(木):ゲストハウスの鍵をエージェントに渡し、フランンチェスカに見送られて人形町のシティーターミナルから高速バスで成田空港へ。高速道路が空いていたのでなんと1時間で到着。横浜から見送りに来てくれた雨宮さんと会う。大きな荷物もすんなりテェックインできたのでほっとする。イタリア語の鈴木さんからも成田まで携帯で別れの挨拶が届く。別れがつらいステファニア。再会を約し、別れを惜しむ。最後はイタリア式の挨拶を交わして別れる。

さようなら、また必ず日本に来ますね! and 離陸するアリタリア/JAL提携便(ミラノ経由ベネツィアへ)

E' stato un piacere parlare con Lei.

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