備前赤坂郡は刀鍛冶のルーツ



本殿<


日本書紀は、写本によって記述が変わるが素戔鳴尊が、大蛇を退治した記述のなかで、 退治した大蛇の中から草薙の剣が出てくるが、その退治した剣は「吉備の神部の許にあり」とか 「鳥上の山これなり」「石上にあり」とか表現される 。

備前の中心であった旧赤坂郡(現在、赤坂郡と磐梨郡が合併し赤磐郡となっている)は鳥取と呼ばれ、 吉備の石上神社は、日本書紀の記述と同じく「鳥上の山」そのものである。
昭和20年代まで、鳥取上村、鳥取中、下村と呼ばれ、「鳥上」も使われていた。中央から、 赤坂郡にある備前国分寺に来た修行僧が大和に帰り、日本書紀の写本をすれば、 備前国分寺から北の山にある石上神社を「鳥上山これなり」と記 述すると思う。 その地は、製鉄技術を持った工匠が多く住んでいる場所(旧赤坂 郡内の宅美の郷)であった。
星川王子の変で、大和政権が吉備上道から山部を取り上げた。そこを管理したのが、物部氏であった。



正徳三年(1713)「和漢三才図会」

石上神社。赤坂郡に在り。祭神は布都御魂。
素戔鳴尊が大蛇を斬りし十握剣、これを用いて祭るところなり。
崇神天皇の朝、大和山辺郡石上に移し、布留社と号づく。」


奈良県天理市 石上神宮の縁起にも、吉備の国の石上神社との関連が記述とされている。

「布都斯魂大神 素盞嗚尊の以って八岐大蛇を斬り給ひし十握劒の威霊を称奉る御名なり。 日本書紀神代巻一書に、其断蛇劒、号曰蛇之麁正在石上宮也と見之、古語拾遺に、素盞嗚神、 自天而降到於出雲国簸之川上、以天十握劒(其名天羽々斬、今在石上神宮古来大蛇謂之羽々、言斬蛇也) 斬八岐大蛇とありて、もと備前国赤坂宮にありしが、仁徳天皇の御代、 霊夢の告によりて春日臣の族市川臣これを当神宮に遷し加え祭る。(石上神宮)


2007年2月追加

山上にある本宮


参道には、広葉樹林が広がる


日本書紀の出来た時代:
  和銅3年(710年)平城京遷都
  和銅5年(712年)古事記編纂
  和銅6年(713年)風土記編纂
  養老4年(720年)日本書紀編纂
  天平13年(741年)国分寺建立の詔
 

仮説の歴史年表(藤本典夫作成)

    310年  百済応援に、吉備の先住民の出雲振根(百済の王子温羅)が筑紫に行った。
           その後、吉備に帰還したが、四道将軍「吉備津彦」に攻められ、殺された。
           吉備の石上神社を大和に移し、石上神宮に遷し加え祭る
       
    (参考)日本書紀神代 八岐大蛇にて
        草薙の剣は尾張にあり、その大蛇を切った剣は、(日本書紀1書第2 いま石上にあり)
        (日本書紀1書第3 吉備の神部にあり)と言われたのが石上布都魂神社

 

    320年  日本 垂仁天皇(第11代天皇即位) 太歳壬辰(庚辰:壬辰272年の48年後)
    320年  高句麗 美川王が10年間所在不明、その間日本に逃げていた。
        石上神宮に剣1000口を納める。「八尺瓊の勾玉」も納めた。
        石上の神宝と呼ばれた。


最寄りの交通機関:JR津山線金川駅下車 車で30分


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作成者 藤本典夫