太 平 記 探 訪

 執権北条氏の鎌倉幕府は、だんだんと色を失い、新勢力が台頭してきた。
そして、建武の親政、室町幕府の誕生、南北朝時代へと時代は大きく動き、そこには、
幾多の物語が盛りだくさんに描かれている。
 太平記は、当時の日本列島を西から東まで、各地の出来事を、詳細に描ききった。

第1節 後醍醐天皇、岡山県を通過(美作国一帯)
第2節 院ノ庄(美作国津山)
第3節 後醍醐天皇、隠岐を脱出、伯耆の国に名和長年がいた。
第4節 
京都六波羅炎上、北条仲時の最後(近江国番場宿)
第5節 播磨の国、書写山円教寺に一泊、その後京都に帰還した。
第6節 赤松円心の野望(播磨国上郡)
第7節 京都御所一般公開(京都)
第8節 児島高徳 熊山に立つ(備前国熊山)
第9節 桜井駅跡(大阪府島本町)
第10節 初代将軍足利尊氏の菩提寺 等持院訪問(京都)
第11節 2代将軍足利義詮の墓所 宝篋院訪問(京都)
第12節 3代将軍足利義満ゆかりの金閣・鹿苑寺訪問(京都)


注) 作者の都合上、近畿中国方面が中心になっています。



太平記の見どころと歴史

第1節 後醍醐天皇、岡山県を通過
      (美作国一帯)
 後醍醐天皇は、元弘の乱(1331)により、隠岐に流される途中岡山県を通過した。
 児島高徳は、備前市三石、山陽道舟坂山(ふなさかやま)に潜伏し、後醍醐天皇の隠岐護送行列待った。
 しかし、いつまでたっても行列はやって来ない。行列は播磨から美作国へ進んでいた。
 それでは美作国の杉坂峠に変更して、道を急いだが、すでに行列はそこを通過してしまっていた。
高徳の軍勢は少ないので、平地で天皇を奪い返すことが出来ない、そうしているうち、天皇の行列は、院庄まで進んでしまった。
                                                 第7節 京都御所一般公開

戦乱の中、京都御所の周囲には、濠もない。
平安京が出来て、公家の時代が長く続いたが、鎌倉武士により、武家の時代を迎えた。

1333年、後醍醐天皇が目指した、「建武の新政」もわずか3年で京都を追われ、

1336年吉野に南朝を作った。
南北朝時代は、天皇を合一した1392年まで長く続く。
第2節 院ノ庄(いんのしょう:岡山県津山市)
 
 院庄の天皇の宿舎に忍び込んで、児島高徳は、桜の幹を削り、そこに漢詩を一句書いた。

  「天莫空勾銭 時非無范蠡」

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          第8節 児島高徳 熊山に立つ(備前国熊山) 

備前国の中央部に熊山がある。南に備前長船、備前福岡があり、山陽道がすぐ下を通過している。
 建武の新政が内紛となり、足利尊氏が九州に逃れ、それを追って、新田勢が播磨に進軍。
新田義貞は、白旗城を攻めきれず、脇屋儀助軍が備前に攻めてきた。
 南朝延元元年3月(1336年)脇屋儀助軍に協力して、児島高徳、熊山に立つが、足利方に散々に負けた。
第3節 後醍醐天皇、隠岐を脱出
 元弘3年(1333)閏2月24日。後醍醐天皇は、隠岐を脱出した。船は名和の湊に着いた。(鳥取県西伯郡鳥取県西伯郡大山町御来屋)今の御来屋漁港。
名和には、名和長年の館跡があり、名和神社となっている。そして、名和長年が先導して、船上山に行宮を置き幕府方を破った。
 同じ日、播磨では、播磨で挙兵した赤松円心は神戸市の北方の摩耶山に進出、京都から派遣された六波羅の大軍を撃破した。
第9節足利尊氏の菩提寺  等持院訪問 

足利尊氏の墓所 
霊光殿では足利将軍代々、徳川家康の木像を安置している。

足利尊氏は、建武の新政に不満をもつ、武家の代表として、南朝吉野と対立しながら、足利幕府を開いた。

新田氏などに、京都を追われ、九州から再度攻め上り、楠木正成を打ち破った「湊川合戦」での勝利など常に太平記の中心人物となっている。
第4節 京都六波羅陥落、北条仲時の最後

北条仲時は、鎌倉幕府の六波羅探題北方としては、京都にいた。
 後醍醐天皇を隠岐に流配にするなど成果をあげていたが、足利高氏が上洛し、丹波亀山の篠村にいた。
元弘3年5月7日 
 ついに足利家が北条に反旗を翻した。
六波羅は足利勢他の官軍に攻められ、仲時は光厳天皇と共に京都から鎌倉をめざし落ちのびる。
5月9日、滋賀県米原まで逃げてきた北条仲時以下の430人余りが、鎌倉へ逃げ切れないとわかり、番場宿の蓮華寺で自害した。
第10節 桜井駅跡 大阪府島本町
楠木正成、楠木正行の「楠公父子訣別之所」として有名

1336年(建武3年)5月
桜井の駅で、楠木正成が、息子の正行に対し、「自分は生きて帰らないつもりで戦場に向かうので、お前は故郷に帰って、大きくなって朝廷に忠誠を誓え」と諭したと記している。

桜井の訣別』 - 「青葉茂れる桜井の里のわたりの夕まぐれ……」で始まる唱歌
第5節 播磨の国書写山円経寺
 
 隠岐を脱出された後醍醐天皇は、元弘 3年(1333)5月27日、後醍醐天皇御幸。大講堂に御一泊。
                               
          第11節 京都宝篋院訪問
 南北朝時代 兄弟が南朝北朝に分かれて戦った2代将軍足利義詮は、南朝方の楠木正行の忠誠に感じ入り正行のとなりに墓を作った。
 仲良く並んだお墓は、太平記の戦乱のむなしさを訴えているように見える。また、墓前には、富岡鉄斎筆の石灯籠がある。
第6節 赤松円心の野望(播磨国上郡)

上郡町に苔縄というところがある。
山陽本線上郡駅から智頭急行鉄道で苔縄駅下車
すぐ目の前に、赤松円心が創建したお寺(法雲寺)がある。そこに、室町幕府に備前国、美作国、播磨国の守護であった赤松円心の木像を安置した円心堂がある。
 赤松円心は、護良親王の誘いに野望を抱いて参加し、鎌倉幕府攻撃、建武の新政に積極的に参加したが、恩賞は不遇であった。
 その後、足利尊氏に味方し備前国、美作国、播磨国の守護となった。

                               
          第12節 金閣・鹿苑寺訪問

3代将軍足利義満が建立
幕府を室町に移し、南北朝を合一し、室町幕府が出来上がった。



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作成者 藤本典夫