浦間茶臼山古墳(岡山市浦間)
備前平野の東の端(旧上道郡)で、吉井川の西岸からすこし西にこの古墳がある。
この地域では、4世紀前半に築造された
全長138Mの当時では、吉備で最大級の前方後円墳である。
吉井川を少しさかのぼったところであるから、船の便もよく、吉備の中心であっただろう。
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第一は、岡山市東部、吉井川と砂川の間の丘陵に築かれた浦間茶臼山古墳である。墳丘全長138mの大形前方後円墳で、前期古墳のなかで最大の規模をもつ奈良県箸墓古墳と同じ設計で、二分の一の大きさに築かれたとみられる。古墳時代前期初めに築かれた吉備の古墳のなかで最も大きいだけでなく、その時期の古墳としては全国第四位、大和・山城(近畿)以外では最大の古墳である。 大和と吉備の首長が同盟し前方後円墳成立の際の中核勢力となったと考えられているが、浦間茶臼山古墳の墳丘の形状や規模はそれを具体的に示す資料であり、吉備勢力の大きさを物語るものである。 |
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| 浦間茶臼山古墳 | 前方部(改変されているとのこと) | 浦間茶臼山古墳から西方を望む (砂川の向こうに7世紀の小廻山遺跡が望める。) |
浦間茶臼山古墳に代表される「前期吉備の古墳」について
浦間茶臼山古墳に行って、古い看板の内容と県の発掘調査をした方の発表に大きく差があり、
古墳のできた年代は「3世紀後半」なのか「4世紀初頭」なのか。
古墳のできた年代
「3世紀後半」と「4世紀初頭」は、本当はどっち
結論は、出ていないが、岡山県の公式発表が「3世紀後半」としている。
4世紀初頭としているものもある。