日本古代年表

ご意見等をお寄せください

神武天皇から清寧天皇即位まで、日本史に年表がありません。
本当は、歴史そのものが創作された部分があるかもしれませんが、
中国、朝鮮の歴史書には、年代のわかる文書が残されており、
日本書紀と対比する作業を、数々見てきました。

そこで、欠史8代とそれ以降を分けて、歴史年表を完成したいと思います。
どこかに真実が眠っています。


 年号赤(たとえば239年  中国   卑弥呼が魏に使いを送る。)は、確定した歴史年表です。
 その他の年号は、このページ管理者の仮説です。皆様のご意見をお知らせください。



234年  百済   古爾王即位(234年から286年まで)
235年乙卯(きのと・う) 春3月6日に吉備国に移られ、行館(かりのみや)を造っておはいりになった。 これを高島宮という。
238年戊午(つちのえ・うま)の年
(日本建国か?)春2月11日に天皇の軍はついに東に向かった。
 4月9日竜田、5月8日雄水門、9月5日高倉山、12月4日長髄彦を討つ、
239年 2月20日天下平定、3月7日宮殿造営
239年  中国   卑弥呼が魏に使いを送る。

241年  辛酉(かのととり)の年春1月1日、天皇は橿原宮にてご即位された。
247年  神武天皇崩御 太歳己卯(丁卯のこと:己卯の48年後)の年
  
日本書紀の作者は、天皇崩御の年を太歳己卯(西暦では、199年・259年・319年・379年など)としているが、このページでは、その48年後の丁卯の年(247年・307年・367年が考えられるが、ここでは、247年)と仮説を立てた。


卯年は、199年(己卯)  211年(辛卯) 223年(癸卯) 235年(乙卯) 247年(丁卯) 259年(己卯)である。

干支は、十干と十二支を組み合わせる。
十干は、五行(木・火・土・金・水)に兄(え)と弟(と)を組み合わせる。
   甲(きのえ)・乙(きのと)・丙(ひのえ)・丁(ひのと)・戊(つちのえ)・己(つちのと)・庚(かのえ)・辛(かのと)・壬(みずのえ)・癸(みずのと)
十二支は、子(ね)・丑(うし)・寅(とら)・卯(う)・辰(たつ)・巳(み)・午(うま)・未(ひつじ)・申(さる)・酉(とり)・戌(いぬ)・亥(い)


248年  高句麗 東川王死去
 神武天皇との説がある。

248年  高句麗 中川王即位
(248年から270年まで)
248年  日本  綏靖天皇(第2代天皇 即位) 太歳庚辰(戊辰のこと:庚辰から48年後)の年


第2代天皇即位の年を太歳庚辰(西暦では、200年・260年・320年・380年などが考えられる。)としている。まず、高句麗中川王の即位の年(248年)を「えと」で表示し、戊辰の年(248年)ができるので、そのにかえれば、高句麗と違った日本の歴史が誕生する。

辰年は、248年(戊辰)  236年(丙辰)  224年(甲辰)  212年(壬辰)  200年(庚辰)  188年(戊辰)
12年単位で、4回まえの「えと」つまり48年まえの「えと」を即位の年としている。
このページでは、西暦200年の48年後を天皇即位の年、戊辰の年(248年)として年表を作成した。
ここでは、日本の天皇が実在していたかどうかよりも、日本書紀の作者の博学に感心してもらいたい。


269年  日本  安寧天皇(第3代天皇 即位  太歳癸丑(己丑:癸丑233年の36年後)(みずのと・うし)の年)
第3代天皇即位の年を太歳癸丑(西暦では、233年・293年・353年・413年などが考えられる。)としているが、西暦233年の36年後の己丑の年(269年)を採用した。
12年単位で、3回まえの「えと」つまり36年前の「えと」を即位の年(233年)としている。

270年  高句麗 西川王即位(270年から292年まで)
286年  百済   責稽王(286年から298年まで)
289年  中国   東夷絶遠30余国が貢朝(晋書)

 高句麗から西川王が日本にきた説がある。
292年  高句麗 烽上王即位
(292年から300年まで)

295年 日本 第4代 懿徳天皇即位  太歳辛卯(乙卯:辛卯271年の24年後)
318年 日本 第5代 孝昭天皇即位  太歳丙寅(戊寅:丙寅306年の12年後)
329年 日本 第6代 孝安天皇即位  太歳己丑(己丑:己丑329年)
359年 日本 第7代 孝霊天皇即位  太歳辛未(己未:辛未311年の48年後)
363年 日本 第8代 孝元天皇即位  太歳丁亥(癸亥:丁亥327年の36年後)
408年 日本 第9代 開化天皇即位  太歳甲申(戊申:甲申384年の24年後)

このように、12年単位で年代をずらす方法を多用した。

日本建国は、238年とした。 中国に倭国が明記されている239年と同時期
九州から、吉備、近畿と神武が東征すると、九州では239年にはある程度、統一されて、
中国に貢朝することができる。
神武は、やはり半島からの軍勢を率いて九州から近畿まで統一した人物であった。
そこには、高句麗の王と重なる部分が多く、半島、日本の区別がなかった。


ここから、また新たな歴史が始まる。



266年  晋武帝 泰初2年 倭の女王が貢物を持参
270年  高句麗 西川王即位(270年から292年まで)
284年  百済   阿直岐が日本にきた。
285年  百済   王仁が日本にきて、「千字文」「論語」などを献上した。
286年  百済   責稽王(286年から298年まで)

288年  日本 第9代 開化天皇即位  太歳甲申(戊申:甲申264年から24年後)
       なぜ、264年に戻るのか疑問が残るが、「えと」は60年単位で元の戻るので
       中国、高句麗の書物から「えと」をたどると、「きのえ・さる」は、
       甲申264年・甲申324年・甲申384年はともに、
       同じ年として扱うことがある。
289年  中国   東夷絶遠30余国が貢朝(晋書)
292年  高句麗 烽上王即位(292年から300年まで)
298年  高句麗 百済を攻める。  百済・責稽王殺害
300年  高句麗 美川王即位(300年から)
300年  日本  崇神天皇(第10代天皇即位)太歳甲申(庚申:甲申264年の36年後)

310年  百済応援に、吉備の先住民の出雲振根(百済の王子温羅)が筑紫に行った。
       その後、吉備に帰還したが、四道将軍「吉備津彦」に攻められ、殺された。
       吉備の石上神社を大和に移し、石上神宮に遷し加え祭る
       
(参考)日本書紀神代 八岐大蛇にて
 草薙の剣は尾張にあり、その大蛇を切った剣は、(日本書紀1書第2 いま石上にあり)
 (日本書紀1書第3 吉備の神部にあり)と言われたのが石上布都魂神社
 
 助けた女性は、稲田姫で、景行天皇の皇后播磨稲日太郎姫に瓜二つ

 暴れ者のスサノウと日本武尊も瓜二つ
 

320年  日本 垂仁天皇(第11代天皇即位) 太歳壬辰(庚辰:壬辰272年の48年後)
320年  高句麗 美川王が10年間所在不明、その間日本に逃げていた。
       石上神宮に剣1000口を納める。「八尺瓊の勾玉」も納めた。
       石上の神宝と呼ばれた。

323年  日本 景行天皇即位  太歳辛未(丁未:辛未311年の12年後)
        景行天皇 2年春 3月3日 播磨稲日太郎姫(吉備出身)を皇后とする。
        その子 日本武尊誕生
        「草薙の剣」が登場

335年  日本 成務天皇即位  太歳辛未(丁未:辛未311年の24年後)
348年  日本 仲哀天皇即位  太歳壬申(戊申:壬申312年の36年後)
             日本武尊の子
356年  日本軍 新羅王を殺す。
357年  仲哀天皇崩御
357年  神功皇后 新羅出兵
       
369年  泰和4年 石上神宮所蔵の七支刀が造られた。(百済からの贈り物)
       倭国が新羅から7カ国を平定し、百済に与えた。       
378年  日本 応神天皇即位  太歳庚寅(戊寅:庚寅330年の48年後)
           吉備の兄媛と関係
385年  日本 仁徳天皇即位  太歳癸酉(乙酉:癸酉373年の12年後
             吉備の黒媛と関係

391年  朝鮮に出兵 高句麗と戦う。
413年  倭国王、晋に遣使、朝貢(晋書)
421年  倭王 讃、宋に遣使(宋書)

424年  日本 履中天皇即位  太歳庚子(甲子:庚子400年の24年後)
430年  日本 反正天皇即位  太歳丙午(甲午:丙午406年の24年後)
436年  日本 充恭天皇即位  太歳壬子(丙子:壬子412年の24年後)
438年  倭王 珍 が宋の文帝より安東将軍に任ぜられる(宋書)

451年  倭王 済 朝鮮半島における失地の称号を所望する(宋書)

454年  日本 安康天皇即位  太歳甲午
457年  日本 雄略天皇即位  太歳丁酉
460年  倭王 興 即位(宋書)

461年 百済 「昆支」が兄の蓋鹵(こうろ)王に派遣されてヤマトに来た
      有王 −− 蓋鹵王
           |- 昆支 −− 末多(東城王)
                  |− 武寧王
461年 百済 武寧王が日本で誕生
462年  倭王 興 が宋に遣使、宋の孝武帝に朝貢(宋書)

463年(雄略 7年) 百済から漢手人部、衣縫部らの献上
463年  下道臣前津屋の反乱 下道氏高梁川西に転地
463年  上道臣田狭の反乱 新羅と結ぶ
470年(雄略14年)漢媛、兄媛、弟媛 渡来
471年(雄略15年)秦氏 渡来
471年  「辛亥の年大王の宮で鉄剣を作らせた。」埼玉県行田市「稲荷山古墳」から鉄剣出土
475年  漢城は陥落 百済蓋鹵王 高句麗との戦で戦死 王子の文周南方へ
477年  百済 貴族の真桀取・木満致らの努力によって、文周王が熊津で即位

       (木満致は、蘇我氏一族の祖となった蘇我満智)
477年  文周王は兵官佐平の解仇に実権を奪われ殺害される。
478年  倭王 武 の上表文(宋書)
479年  筑紫の軍士500人をもって末多を護送して以来、積極的に百済復興を支援する。
479年  東城王(末多王)が即位

479年  日本 雄略天皇崩御
479年(雄略23年)天皇後継をめぐって、「星川皇子の変」
      稚媛、星川皇子、上道国造兄君などの反乱
480年  日本 清寧天皇即位  太歳庚申(庚申480年)

502年  東城王(末多王)の暴虐によって、武寧王即位

   


日本古代年表

注)この年表は、作者の仮説ですので、その前提でご覧ください。

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                         2000年3月17日 藤本典夫作成

参考文献
講談社学術文庫:「日本書紀(上)」宇治谷 孟氏著
文芸春秋刊:解説「謎の四世紀」小林惠子氏著
ソフト:年号干支.exe すべての「年号えと」はこのソフトで算出した。

参考:岡山県赤磐市両宮山古墳とワカヒメについて(百済 武寧王の年代特定について記述あり)


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