備前市片上湾




ブルーライン片上大橋からの眺め、中央の奥に片上港がある。
片上の港は、湾の奥にあり、瀬戸内海の良港として栄えた。
平安時代には、港の機能があった。

  藤原保則伝



<藤原保則伝より、関連事項を抜粋>

貞観17年役目を終えて、京に帰るとき、両備の人が道を遮り、泣いて別れを惜しむ。老人が酒を持ってきて酒、肴を勧めて止めない。
保則老人の言に反することをおそれ、滞留すること数日、その間訪れる人絶え間なく、保則困り果てて、ある夜、ひそかに小船にのって去った。従者を待つため、和気郡方上津に停泊した
郡司その糧食の少なきを聞きて、白米二百石を贈る。保則その志を喜んで是を受け、国の講読師に書を送り、「船中に怪事が多い。僧に頼んで祷らしめよ」と。そこで、国分寺の僧を遣わす。保則乞うて般若心経一本をよませた、贈られた白米は全て布施して去った。

<備前国分寺について>
 備前の国分寺跡は、赤磐郡山陽町にあるとの定説になっている。
藤原保則は、貞観17年(861年)頃、備前市片上に逗留して、国分寺の僧を呼ぶのであるが、
備前市片上から赤磐郡山陽町まで使者を出したことになる。
山陽町に国分寺があったことは、間違いないが、861年当時には、備前市片上の近くに国分寺が
あった方が自然であり、赤磐郡山陽町以外の新たな国分寺の存在を考える必要がある。


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作成者 藤本典夫