明治維新の岡山


明治維新の岡山、その歴史をシリーズで、たどってみる。

第1節 和気町佐伯 豊田謙次 (勤皇の志士)
第2節 備前岡山藩 遊奇隊(官軍として出兵)
第3節 岡山市(旧御津町) 瀧善三郎(神戸事件)
第4節 倉敷市玉島 熊田恰
第5節 高梁市 石火矢町ふるさと村
第6節 高梁市中井町 山田方谷生誕地
第7節 浅尾藩(岡山総社市)の陣屋焼き討ち事件
第8節 立石孫一郎(生家)


第1節 豊田謙次の事件
 岡山県和気郡和気町佐伯 備前岡山藩家老土倉氏の陣屋があり、京都の騒乱を逃れて来訪した豊田謙次と、同じ勤皇家でありながら、意見の対立から、謙次を斬ってしまった土倉氏の家臣田原平左衛門は、慶応2年1月22日切腹した。
                    第5節 石火矢町ふるさと村

 備中松山藩は、明治維新の当時、老中板倉勝静の城下町
 その武家屋敷が「石火矢町ふるさと村」としてのこり、散策する人も多い。
第2節 遊奇隊
 
備前岡山藩の農兵隊
慶応二年五月藩主池田茂政は、農民を以て銃隊を編成するよう命じた。
それによって、郡奉行等は大庄屋名主等を指揮して農兵隊を募り組織した。
始め農兵隊と構したが、十二月十七日耕戦隊と改名し、ついで明治元年七月十五日に遊奇隊と改称した。


第6節 山田方谷生誕地

(高梁市中井町 高梁市内から20km以上北に行ったところ)
文化2年(1805)〜明治10年(1877)
明治維新当時、山田方谷が備中松山藩を取り仕切っていた。

徳川慶喜の提出した「大政奉還上奏書」の草案をしたり、理財論、財政改革を実践するなど
岡山県では、たいへんな偉人であった。
第3節 神戸事件
 1868年(慶応4年)1月10日兵庫県明石に宿泊していた岡山藩の家老日置氏の軍勢
約450名及び大砲方を率いた一軍は、11日午後2時ごろ、一行が神戸の三宮神社に差しかかった
とき事件は起こった。
 備前岡山藩家老日置氏の陣屋は、御津郡御津町金川にあった。
 日置氏の家臣である滝善三郎の居住地も金川である。


第7節 浅尾藩(岡山総社市)の陣屋
焼き討ち事件


幕末の志士 立石孫一郎ほかが、襲撃した事件
第4節 玉島の包囲
 
倉敷市玉島には、備中松山藩の飛び地があり、備中の玄関となる港を持っていた。

第8節 立石孫一郎(生家)

幕末の志士の生家訪問



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作成者 藤本典夫