備前市 と 方谷先生

備中松山藩の方谷先生は、備前市でも活躍されていた。

明治になり、備中松山を退去した方谷先生は、明治6年閑谷学校を再興した。

明治10年方谷先生が亡くなると、再び閉鎖状態となった。

そして、明治17年、西微山先生が閑谷黌を発展させ、現在の閑谷学校がある。

備前市・閑谷学校再興

閑谷学校の発展に尽くした1人として、紹介されている。

閑谷学校

備前市・蕃山  方谷先生旧宅



実践の学問である陽明学を取り入れた教育を行うと同時に、あこがれていた
熊沢蕃山の旧宅にも訪れた

陽明学の熊沢蕃山の住居跡からすぐのところに、居を構えた。

閑谷学校再興に尽力し、年間数回講義に訪れた。



  

岡山市から2号線を東進し、西大寺付近で、「ブルーライン」を通過して終点からすぐのところ


備前市・蕃山


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作成者 藤本典夫