勤王の志士 豊田謙次の碑

    所在地  岡山県和気郡和気町佐伯

   豊田先生 



豊田謙次は、幕末、岡山県和気町佐伯に逗留中、落命した勤王の志士である。
滋賀県甲賀郡水口の人、20歳で家を出て、各地で学び、安政6年から文久3年まで、岡山県美作市土居の行餘学堂で5年間学問を教えた。

その後、京都で活動をしていたが、元治元年6月の池田屋事件、7月の禁門の変などで、京都から長州に逃れようと、途中、岡山県和気町佐伯の岡山藩家老土倉家の大目付齋藤氏の勧めで、長州人の薬売りとして旅館橘屋に逗留した。

そこで、土倉家の家臣田原平左衛門と親しくなったが、豊田謙次は、勤王の過激派であったので、松江藩の軍用金を奪って、津山を占領するなど計画していたが、田原平左衛門は、土倉家の家臣であり、出来ないと断ると、謙次は、田原を斬ろうとした。

田原も応酬し、謙次は斬られた。慶応元年12月15日のことであった。
後日、田原平左衛門も切腹した。
明治24年12月17日、勤王の志士豊田謙次に正5位を叙位された。


その年代:安政6年(1859年)安政の大獄
     文久3年(1863年)
     元治元年(1864年)禁門の変、第1回長州征伐
     慶応元年(1865年)
     慶応2年(1866年)備前藩農兵隊を組織 遊奇隊として明治維新に参戦
     慶応3年(1867年)大政奉還


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作成者 藤本典夫