医学生の時代にある教授が語ってくれた言葉が耳に残っている。
『わたくしは、将校を作るべく教育している』
字面だけで短絡してしまう読者のために解説しておくが
これは、戦争容認の発言ではない、別の次元のたとえ話だ。
将校とは、この場合
戦場(医療現場)で
部下(医療においては部下ではなく、同僚たる他職種の職員や後輩医師の意)を
指導し、
戦闘(患者治療)を勝利(快癒)に導くべく努力する存在
といった意味だろうか。
脱線するが
かてて加えて言うのなら、
『部下』なる表現は私の主義
(私は、ことbed sideにおいては上司も含めすべての医療関係者を同僚(同等)と考えている)
に反するが、
各種の法律がたとえば
『医師の監督のもとで』といった文言で同僚他職種の医療行為を制限している現状では
『部下』なる言葉で表現される、『上下関係』はそれら法律の中で暗黙のうちに語られている気もする。
また、
『医師の監督のもとで』という文言は、
元来は、多様な医療行為の全てを医師が執り行うのが医師不足、医師の時間不足のために不可能だった時代に
ある種の医療行為を『同僚』に委任するための方便だった。
しかし現在の大学病院では
逆にそれらの歴史的に委任されていた医療行為を
現場の医師(将校ではなく兵隊:戦場で一番立場の弱い存在:多くの場合研修医か無給医員)
にのしをつけて返還するための正論あるいは新たな方便として使用されはじめている。
ならば、同僚諸子、あなた達は『部下だった』わけだ。。
個人的には正直いって雑用が増えるのはごめん被りたい。
それにもまして、正論??を言わせていただければ、
『委任されていた医療行為』は歴史的には医師とその同僚達の間の境界領域の仕事であるから、
言葉尻をとらえることを鬼の首をとったがごとく振りかざし、
同僚達がそれらの仕事にそっぽをむくことは、
その仕事が手薄になること、
医療の質が低下することを意味している。
そっぽをむいて、兵隊にしわ寄せするだけで、いいのか??
兵隊に無理が利かなくなったときに、
次にしわ寄せが及ぶのは、勝利(快癒)を保証されない患者ということにもなる。
可哀想なことだ。
話を戻します。
私は、将校なのか兵隊なのか、、、
私は研究生という身分(何度もエッセーで言っていること)だが、
それは大学病院からは給料は得ておらず、逆に大学に授業料を払っているということだ。
正確には月1−2回の当直についてのみ、医局内で精算のうえ、小額を報酬として得ている。
責任もその程度だと助かる。
私は、将校なのか兵隊なのか、、、
私は現場の都合で将校にも兵隊にもなる。
周囲の都合ということは、おおむね自分のプライドとは正反対の使い分けをされるという意味だ。
時には自分の望まない形で、将校の仮面でもって責任能力のある風を装うということだ。
敵前逃亡は私の主義に反するので、戦闘(患者治療)にはglobal standardを心掛けている。
しかし、
大学に授業料を払って、現場の同僚から学んだことが、
戦場(医療現場)で『It's not my business』と口にできる冷徹さだけだとしたら、かなしい。
そして、local standardしか知らない同僚を哀れだと思う。
実際に私は、戦場でmore betterを実行しないという狡猾な保身術さえ学んだ。
ちょっとしたsurviceやmore betterな医療は、現状打破のニュアンスがあるがゆえに、摩擦を生じ重荷になる。
援護射撃のない戦場で、それを押し進めるには熱意と楽天と忍耐が必要だ。
多人数の思惑の中の戦場では弾は後ろからも飛んでくる。
個人非難ではない、前にも書いたが、traffic jamのように歩きにくいsystemの問題だ。
相変わらず不穏当な発言のわたくしだが、私は政治家ではないのだから仕方がない。また、
上官といえども、私と同じ塹壕で泥をすすり、私と同じ飯盒の飯を食っていない方からの非難は御免こうむる。
誤解の無いようにかみ砕いて書いておく。
私は変人ではない。
私といっしょに患者のことでbed sideで悩み苦しみ、また私といっしょに患者の手術に手を染めていないものに
たとえ上司であろうとも私の技量を語る資格はない。
まして私の人格を云々されるいわれはない。
さて、軍隊は文民統制のもとにある。
文民とはこの場合は医療事務屋さんだろうか。
これも個人非難ではない、traffic jamのように前進をはばむsystemの問題だ。
たとえば
一つの医療行為に関して複数の文書を要求されるなど可愛い方で、
前にも書いたレセプトコンピューターの入力要員としての兵隊達の労苦には、その後、何の改善もない。
病院におけるコンピューターオーダーシステムがレセプト事務に直結しているのであれば、
パソコンは事務屋が操ればいい。
病院の利益が、
自分の利益に反映されない兵隊のプライドだけで格闘するそうした善意?に支えられているのは異常だ。
大学病院ではコスト漏れに関わる採算性の悪さも問題となっている。
しかし、医療経済の専門家たる事務屋が現場に顔を出さず、
コスト漏れのチェック表だけを現場に送りつけるだけで
何が改善されると言うのか?
それでも相変わらず、兵隊の善意に期待するわけか、、、。
兵隊には学生時代も奉職中もコストのことを正式に学ぶ機会は非常に少ない。
コスト戦争たたき上げというわけだ。
(悪意を持って言い放てば、患者様さえ良くなれば、多少のコスト漏れは多忙な兵隊にはどうでも良いことなのだ。)
(紳士的に言い換えれば、雑用に追われる兵隊は、多少のコスト漏れに気づかない、というマーフィーの法則だ。)
それとも、人事異動でやってきた事務屋さんは、自分は本来医療経済の畑の人間ではないと言い張るのだろうか?
すくなくとも、それで飯を食っているんだろうに。。。
医者の世界や民間病院では、それは勉強不足のそしりを免れない。
国立大学附属病院は、ゆくゆくは独立採算を目指す国策もあるようだが、
兵隊(研修医ら)の善意に支えられた独立採算とは笑止である。
転属していく医師としてまた一人の納税者として
独立採算制施行の行方にはおおいに興味をいだいている。
| (2000/02/06記す) |