お父さんのエッセィ

『南部蒼天13』(2003/02/02)


『飛散』


スペースシャトル・コロンビアが爆発・飛散した。

実は当家は、
ちょうど一ヶ月前にフロリダ一周旅行の途中、
ケープ・カナベラル(旧ケープ・ケネディ)のNASAを見学していた。
その折、特別見学ツアーに参加し、
打ち上げ直前の、まさにあの機体(コロンビア)を間近に見て、
写真すら撮っていたのだった。
それ故に、この事故は格別にショックだった。

事故後、30分頃に、偶然つけたTVで、そのニュースを知ったのだが、
その時すでに、燃えて消えていく機体の映像が、放送されていた。
事故後1時間数十分後には、7人のクルーの写真や経歴が紹介され、
シャトルの諸元に詳しいキャスターの、流れるような解説もあいまって、
事故のみならず、湾岸戦争以来のアメリカのTV産業のすごさにも改めて驚いた。

話しをもどして、、
アポロ時代に少年時代を過ごした私には、
宇宙は僕たちのものという気鋭のようなものが心に染みついている。
宇宙に上がりたいという飛行士たちの、そして僕たちの憧憬は
アームストロング船長の月面の足跡と同じように、
本能と言っていいほどのインパクトで、
僕たちの心にプリントされている。
それは(他国の機関ながら)NASAに
絶対の信頼を寄せているからこその憧憬ともいえる。

NASA見学の折り、殉職者の記念碑も見てきたが、
その殉職飛行士の数が、とても少なかったことに
驚嘆し、アメリカの威信を見るような思いを感じたことが
昨日のように思い出される。

チャレンジャーの悲劇に続く今回のシャトル事故は、どうしたことなのだろうか?
打ち上げ時の、耐熱タイルの破損が原因などとも分析されていたが、
(そのことは、事故後2時間もしない内から、TVで映像つきで指摘されていた)
だとすれば、7人の飛行士たちの命運は16日前に既に決まっていたことになる。
不可抗力だったと言い換えるとすると、
それは、アメリカ文明(NASAのトップ頭脳集団)の敗北を意味するし、
防ぎえたものだったとすれば、
トップ頭脳を支えていた現場サイドの問題(労働者の質の問題??)を意味し、
それもまた、アメリカ文明の敗北を意味する。
さらに、防ぎ得たものだとすれば、そして、これが16日前にわかっていたとすれば、 NASAは飛行士たちを見殺しにしたといっても過言ではあるまい。
フェールセイフが信条だったアメリカは、
スペースシャトル20年の歴史と共に、
過去のものになりつつあるのか?

そうしたわけで今回の事故は、
自由世界の良心・アメリカの没落を見るような、
時代の変わり目を見るような、
ローマ帝国の没落を見るような思いもある。
さらに
武力をちらつかせながら、世界の秩序たろうとするブッシュ政権は
度を超せば、世界の支持を失うだろうし、
アメリカが世界の価値観だった時代・パックスアメリカーナは、
落日をむかえつつあるのかも知れない。

晴天に散った飛行士たちに真摯に哀悼の意を送りながら、
そんなことを考えてしまった。


(2003/02/02記す:02/04加筆)