お父さんのエッセィ

『南部蒼天16』(2003/04/25)


『愛国』


愛国などというと、傾いた政治志向を持った人間と、レッテルを貼られかねないのが日本ですが、今回は米国の日常生活の中のパトリオティズム(patriotism:愛国、愛国心)の話を平たく書こうと思います。

どうしても、私にレッテルを貼りたい人は映画『パトリオット(メル・ギブソン主演)』なんかを観てみて下さい。これには独立前夜のアメリカ人達のがんばっている姿がよく描かれているのですが、それと『日本的な意味でのレッテル』を同次元で考える人は少ないのではないでしょうか。。。

さて、ブッシュが戦争をやりました。
ブッシュ(父)がやった湾岸戦争は、イラクがクェートを攻めたため、イラクをやっつける大義名分がとてもわかりやすかった。しかし今回は、その大義というやつが、米国以外の国の人々には少々わかりにくかったですね。。外交も戦争も勝てば官軍ですが、大義という意味では、今回のはいただけない戦争だったと思います。
世界政治の中で、国連中心主義とは一線を画したい米国(国力は米国が一番なんだから、、)と、仏・独・露・中などとの国際政治バランスとか、米国国内では、経済を軍産複合体が担っているといった公然の秘密とか、本当にビンラディンとそれを支援した国が憎かったんだとか、いろんな側面がありますが、、、まあ、そう言う話は置いておきましょう。

今回も民主・自由の仮面を被った軍事礼賛のニュースチャンネルが戦果を逐一報道していました。その中で、私が注目した点は、反戦活動さえも報道される中で、公には、お国のために命がけで従軍している兵隊さんを責めるということは、一切無かったという点です。戦争そのもののはいけないことですが(私見)、兵隊さん達が命を賭けている所以の大義は奪わないと言い換えることができます。これは、ベトナム復員兵を冷遇した米国社会の反省の結果かも知れません。罪(戦争)を憎んで人(兵隊さん)を憎まず、です。兵隊さん達をいたわり、自分の国のアイデンティティをいたわっているわけです。情報操作の側面がちらちら見えますから単純には言えませんが、報道のルールとして、『愛国』なわけです。自分の国に誇りを持てなくなってしまうような報道の仕方をする日本が、本当にすばらしいのか、一抹の寂しさを感じるのは私だけなのでしょうか?

自分の国への誇りと忠誠(指導者への忠誠ではない!!)について、日常生活の中で、他の例を探してみましょう。
 この戦争中、玄関先に星条旗(中にはユニオンジャックも)を掲げている家が何軒も見られました。家人が出征している家かも知れませんが、一致団結して国をもり立てようという意思表示ともとれます。(何故、他の連合国の旗がないのか、、差別の臭いもしますが、、。それはまた別の話)
 また、小学校(保育園でさえ)では、校庭・教室には国旗が掲揚・掲示されており、始業前には愛国の呪文(The Pledge of Allegiance)と国歌(The Star-Spangled Banner)を皆で唱和し、皆が直立不動・市民敬礼でそれらに敬意を表します。プロスポーツのゲーム開始前にも国歌・直立不動・市民敬礼は為されますし、たまたま出席した病院のビルの新築開所式では、愛国の呪文が唱和されました(老若男女だれでも言えるのですよ、、『君が代』よりすごいです。)
 これらはやはり、軍国主義と言うことではなく、国家・国民としてのアイデンティティを大切にしているという証左と考えられます。あいにく、私は(生い立ちが災いして??)(The Star-Spangled Banner)も(The Pledge of Allegiance)も完璧にそらんじることは出来ません。ですから、そういう場に居合わた場合は、市民敬礼だけを行い、日本人として、それら(米国のアイデンティティと愛国)に敬意を表することにしています。
正直言いまして、国に敬意を表する国民・自分の国を大切に考えられる国民性は、羨ましいです。彼らが直立不動で呪文を唱えているとき、とくに年端もゆかない幼稚園児までがそれを唱和している姿を見ると、胸が熱くなります。日の丸には歴史的に別の意味が存在し、君が代は、歌詞の内容がとんでもない、という欠点はありますが、祖国日本に於いて国を大切に考える習慣を教育されなかったのは不幸なことです。軍国礼賛といっているのではありません。国の象徴への忠誠を説いているのでもありません。あくまで、国そのものへの誇りと忠誠そしてアイデンティティの話です。

この程度の話で、私にレッテルを貼るのはおかどちがいでしょう。

でも、こんなことも考えてます
帝都で街宣車から軍歌を流しているおにいさん達は、特異な存在です。しかし、むしろ、
ノンポリでチャラチャラと、繁華街で遊んでいる、まるで漠然と生きているような人たちの方が、じつは始末におえないのではないか。
そこまで極端に対比させなくても、
日本国民としてアイデンティティのない人・考えてない人が、経済・行政・政治をやると、国は滅びるのではないか、と危惧しています。
日本の外にいて、日本国家に守られていないと、いろんなことを考えるものです。。

ちなみに、愛国の呪文(The Pledge of Allegiance)を紹介しましょう。
I pledge allegiance to the Flag
���� of the United States of America,
and to the Republic for which it stands:
���� one Nation under God, indivisible,
With Liberty and Justice for all.
といいます。知ってましたか?私は知りませんでした。
短い文句ですが、これにも歴史があります。
参照ページは "http://www.homeofheroes.com/hallofheroes/1st_floor/flag/1bfc_pledge.html"です。
私が、愛国などと口走り、憂国の念に駆られるわけがきっとお分かりになるでしょう。
(2003/04/25記す)