Stupid White Men(邦題;バカでマヌケなアメリカ人;マイケル・ムーア著)をお読みだろうか?ブッシュ2世の大統領選での票操作の経緯やら、アメリカにおける環境破壊の背景やら、白人以外には到底賛同者がでないような偏った経済および人種構造が、白人の独善に由来していること、などを痛快に説明している。これが白人によって書かれたのは、一つの救いだが、彼は出版後、いろんな嫌がらせにあっているのではないかと、心配になってしまう。アメリカには言論の自由はあるが、ある人の言論に反対する自由もあり、手前勝手な白人は、その『反対する自由』に暴力を含む制裁措置も入ると考えている節があるからだ。『自由』と『自己をアピールする』ことを信条とする教育の国の行き着く先というわけだ。それは善意に基づく『自由』とか紳士的な『自己のアピール』とは少し事情が違う。善意に基づけば、自由は他者の自由とのバランスの上に考えられるものだし、自己のアピールとディベート(今日的意味のディベートは、道理を曲げてでも主張する論戦にほかならない)は別次元のものだ。そして、『行き着く先』に暮らすアメリカ白人は、善意をかなぐり捨てた次元での『自由』と『自己アピール』で生存競争を繰り広げている。世知辛いといえばそれまでだが、これは何とも醜悪で、鼻持ちならない。善意を残している人は踏みにじられ、敗者となる。アメリカ的?な神は『契約』を信仰の拠り所に選んだときに、こんな末世を想像していたのだろうか。ある映画の一シーンで、ブルース・ウイリスが言う台詞に『アフリカに神はもういない』というのがある。内戦で荒れ果てたアフリカ某国で、苦しむ民衆に手をさしのべる伝道師を見たときの、つぶやきがその台詞だった。神が敬われないその場所では、伝道所とて安全ではなく、アフリカには救いはないという意味だった。解説が長くなったが、本当のところは、神が逃げ出したのは、『アフリカ』ではなく、『アメリカ』ではないかと、私は考えるのだ。
私が住んでいるアーカンソーはバイブルベルトの一角を占めていると自負されている。『敬虔なクリスチャンが多い』と同義の誇りのある言葉らしいが、『お堅い』と言い換える現代訳もある。ここに住んだ感想として、利己的自由とかディベートの勝者を正義と認定する歪んだ社会ルールは、善男善女の土地に馴染まないとするのは、日本人的な負け惜しみだろうか。それでも、この社会が存在するなら、正解は『アメリカに神はもういない』ではないか。
わたしは、研究者として暮らしているので、象牙の塔なるサンクチャリでは、守られている。半分以上のアメリカ人研究者は紳士的で、黄色いサルも同じ人類であることを認識しており、善意を行動の規範にしている。だが、時に吹く浮き世の風で、アメリカ社会の基本的な暗さを思い知らされる。白人が作った資本主義社会・自由主義社会の枠組みのなかでは、黄色いサルに有利なカードが配られないことは、すでに納得した。Stupid White Menを紐解くまでもない。嫌ならここを去ればいいのだ。それは仕方ないとしよう。しかし、もっとたちが悪いのは、バカで間抜けに育ってくる白人学生だ。性悪で、迷惑この上ない。鳥インフルエンザ以上に悪質だ。彼らは能力がないのに、自己の無限の可能性を信じるように教育され、それに利己的自由を振りかざし、歪んだディベートで勝ち残る能力を付与されている。しかも、帝王学を学ぶほどの上流階級をのぞけば、彼らの親は、白人至上の人種観念をこのバカ学生達に刷り込んでいる。刷り込まれているということは、確信犯なのだ、始末に負えない。ここは南部なのだ。約40年の公民権運動の歴史などメッキにすぎない。それは、戦い続けるアフリカ系アメリカ人がもっとも実感しているだろう。もっとも、アジア系を差別の生け贄にするアフリカ系アメリカ人が多いのは浅ましい限りで、人の業の深さにうんざりするのだが。
まあ、他人の国である。アホな教育も、独善的な社会のルールも、実は外国人の私が憤るべき問題ではないのだが、まあ読んで欲しい。
毎年6月の声を聞くと、研究室には数人の一般の大学生がにわか研究者として研修に来る。クレジット(学校の成績に加味されたり、履歴書に書くネタにできる)ほしさにやってくる彼ら・彼女らは、この後、約2ヶ月も研究室に出入りする事になる。私は、最初は、このシステムがわからず、熱心な??学生さんに善意で接していた。しかし、メッキはすぐに剥げる。彼らは何も知らない。低レベルの教育しか受けてこなかったのだから、これは仕方ない。だが、彼らは失敗の全てを人のせいにする訓練を受けている。プロでも研究の半分は徒労に終わるというのに、2ヶ月で胸を張れる結果を彼らに与えるのは、並大抵ではない(これはボスの力量だが)。で、プロジェクトに手を貸す私は、あらゆる稚拙なミスの元凶として彼らの非難を浴びる。その非難には、彼らの受けた教育に忠実に、白人至上・黄色いサル憎しの視線が加わり、自分たちの正当性を補強するわけだ。わけを知っているボスが私を責めることはないが、これは非常にショックで悲しいことだった。またあるときは、純朴な声で「○○を教えてくれ」と聞いてきた。「それは、△△で●●をすれば簡単だよ」と丁寧に教えると、「そんなことは知っていた」と、例の蔑みの視線で返される。最初は耳を疑い、自分の英語力のせいかと考えてもみた。しかし、やはり、彼らは侮辱を持って礼に代えたらしい。どう考えても、礼を失する行為だし、人の仁義にもとり容認しがたい。小人は不善を為し、その言動に仁少なしである。私はバカ学生共の相手をするのは金輪際止めにした。
ところが、同じシチュエーションは、ポスト・グラデュエート・ステューデント(大卒後の新米研究者・大学院生相当)と私の間で繰り返された。バカ学生が、3,4年勉強して卒業しても、性根は変わらないということだった。ディベートはさらに磨きが掛かり、アジア人蔑視の行動も巧妙になる。そのため、閻魔大王(ボス)の判断が常に正道かどうか私としても不安になる。英語不得手のこの身では、ハラスメントを受けても、被害現場??ですぐにやり返せない(その場で効果的にアドリブで反論できない)のが、非常に口惜しい。証人がいないところで、ひどい嫌がらせを言われても・されても、証明できない。血の涙が出そうだった。口ケンカをするための手引き書(『英語一言で言い返す法:鈴木智草 著』)まで買ったほどだ。しかも、悪ガキ共は、教授達の勤務評定をするという、伝家の宝刀を握っている。フェアなシステムだが、いきおい、何か問題があったとしても、ボスは、ただ笑って済ませたくなるシステムだ。それはLADIES&GENTLEMENの持つべき刀だ。悪ガキ共には飴と鞭でちょうど良い。どうして、ポスドク(大学院も終わったレベルの下級研究者)には何の武器もないのか。学生を評価させろ!ついでにボスの勤務評定もさせろ!
私のボスは非常に有能だが、元は南米からの移民だった。自分の人種はヒスパニックであり、ホワイトではないという。ヒスパニックとそれ以外(アングロサクソン系など)を区別しても、目糞と鼻糞ぐらいの違いしかないのではないかと、私などは思うのだが、これが、アメリカ社会の常識らしい。彼は、その人種的不利をバネとして常に戦っている(仕事で、誰よりも成果を上げようとする)ように見える。そして黄色いサルさえも、能力本意で評価しようと心がける。ことほど左様に地位のある人の中には、国際的視野をもち、他人種に偏見のない人もいる。しかし、バカでマヌケなアメリカ白人学生が、そんな立派な研究者に成長する日があるなどという戯れ言を私は決して信じない。あったとしてもそれはアルマゲドンの翌日に違いない。(私は白人専用のアメリカ的神を信じないから、その時は、悪魔に味方するだろう。)とにかく、彼らは働かない。そのくせ、生来の英語力を生かし、つぼを押さえて、ボスを丸め込む。最低限の努力で、最大限以上の効果を引き出す才能は、称賛に値するが、株で楽に喰っていく人間と同じように生産性のかけらもない(Stupid White Men参照)。蔑みの対象であるわれわれアジア人から仕事の成果(データ)をかすめ取っているからだ。それを自己の才能としてアピールするのであるから、その正体は黄色いサル以下ということになる。白いゴリラだ。がたいが大きい分、総身に知恵が回らないはずだが、この社会というゲームのルールを作った側の人間(すなわち白人)なので、なかなか勝負にならない。
勝てないながらも、私は自分の能力を彼らのゲーム盤の上で証明し続け(訳あって詳細は伏せる)、誇りを取り戻した。そしてさらに、私は一つの事実に気がついた。バカでマヌケなアメリカ白人学生が、我々のおこぼれで生きている以上、我々は弱者ではない。閻魔大王(ボス)が、おこぼれを再配分するのは、彼の権利だが、そのほか私は一切協力しないことにした。困るのは彼らの方なのだ。私の留学生活が異常に不幸だったわけではない。そうは思わない。人種的偏見のない白人や、偏見を捨てきれないながらもそれを克服しようとしている人も多く知っているし、我々に世話を焼いてくれた人も多い。ただ、異文化の中で、招待された者ではなく、何の鎧もまとわずに生存していくということはこういうことなのだと思う。手前勝手なルールのゲームを押しつけるSTUPID WHITE への対処法は知っておいた方がいい。簡単に言えば「仲良くしてくれないなら、絶交だい」である。これでは、身も蓋もないが、彼らが、バカでマヌケだということを根底で認識することが大事だろう。
巨視的な視野で話そう。彼らの爺さんたちの世代が作ったこの、白人一人勝ちシステムの社会・パックスアメリカーナが永遠に続くものでのないことを予見すべきだろう。勤勉でない子孫・三代目には屋台骨は傾くものだ。現に、アメリカ国内だって、白人の一人勝ちを支えているのは、勤勉で頭の良い中国人やインド人だ。これはシステムが矛盾し、破綻しかかっている証拠ではないか。ルールを研究し成果を上げてきたのが我らが父ちゃん達(トヨタ万歳!ソニー万歳!)、でも、日本も金融危機に見られるようにルールの独善的運用でボロボロの体。白人共の作ったシステムの世界で防戦したり、攻勢に出たりしながらも、クールに別のルール・別のゲームを模索する必要もあるのではないか。和魂和才をもって洋鬼に接すべし。ゲーム盤の崩壊した東欧共産圏、白人ゲームに殴り込みをかける中国や第三世界。しかして、新しいもしくは異質のシステムを暖めているのが、イスラムなのか、、。
追補。私は、全ての白人学生がバカでマヌケとするのは極論だと認識している。小学校一年の我が娘の同級生達は、白人も、アフリカ系も皆純真で、まだ人種差別を知らない。私のことを「じゃっきーちぇん」みたい、と言ってくれる子もいる。アジア人の顔の区別が付かないのかも知れないが、可愛いモノだ。彼ら彼女らが、いつバカでマヌケで鼻持ちならない学生に変身するのか、興味があり、憂鬱でもある。何人かでもまっすぐ育ってくれれば救われる。
(2004/02/20記す) |