旭川で生まれ育ったせいか、「アルデンテ」でないラーメンには違和感がある。「アルデンテ」はパスタでお馴染みの言葉だが、ラーメンの麺の、ほど良く芯が残ったゆで加減を表現するのにちょうど良い日本語が思いつかないので「アルデンテ」と書いた。
スープは、味噌も塩も醤油もそれぞれに美味しいと思うのだが、山盛りの具で、麺にたどり着くまでに「アルデンテ」がのびてしまうような前衛的なメニューは本当ではないと思っている。
さて、米国南部の田舎で暮らしていた時、日本人の経営する日本食レストランの存在しない街でラーメンが食べたくなったと思って下さい。一個20円ぐらいのインスタント麺はスーパーでも売っていた。アジア食品店にはもう少し程度の良いインスタントモノもあった。しかし、そこはそれ旭川育ちである。なるべく本物に近いラーメンを食べたい、と思うのが人情であった。
まずは、麺探しを始めた。手に入る中では、中国製の乾燥麺は「アルデンテ」を前提には作られていないようだった。ベトナム麺も、腰が足りない感じだった。次に人づてに聞いてニューヨークの日系企業から冷凍麺とタレのセットを取り寄せてみた。どういうわけか、ちょうど良い「アルデンテ」が出来なかったし、スープもパンチにかけていた。製造担当者は北海道育ちではなかったのかもしれない。なかなかに麺探しは難航した。一方、具の用意はというと、ネギ、もやし、コーンはスーパーで手に入った。アジア食品店で見つけたブタの三枚肉と根生姜は自家製チャーシューに最適だった。シナチクは中国製の瓶詰め製品を水洗いするとちょうど良い辛さになった。ゆで卵はチャーシューだれに浸けて香味玉子とした。全て妻の工夫だった。シンプルながら故郷のラーメンどんぶりの風景を再現する材料としては不足はなかった。
なかなか良い麺を手当てできないのが不満だったある日、日本の実家から寒干しラーメンなる半乾燥麺とタレのセットが送られてきた。半乾燥状態なので日持ちがするし、ゆで上げのタイミングも計りやすかった。タレも北海道の店のレシピなら文句はなかろう。ここにアーカンソー・ラーメンが形になった。食して知る親の恩。我が意を察してSAL便を組んでくれた日本の親爺殿に感謝。
「アルデンテ」のゆで加減は、食べる人が箸をつけたときにちょうど良くなるようにしなくてはならない。讃岐育ちの妻にはむずかしいようだった。そこで、妻を具製造担当与力に任命し、私が鍋奉行ならぬ拉麺奉行を拝命した。実家からラーメンが送られてくる度に、家族・友人達のために奉行の采配が振るわれた。歯ごたえのある麺の腰、麺にからみつくスープの旨味、具の食感や香味のハーモニー。物量主義のアメリカ料理とは違って、ラーメンには日本の食文化の微妙な味わいすらあった。懐かしさもあってか日本人の友人達には好評を博した。体重を気にするI教授も完食して下さった。しかし同じ意味で炭水化物を敵視する風潮の白人の中ではその評価は分かれた。一個20円のカップ麺しか知らない田舎白人に、ラーメンすなわち下賤の食と一笑に付されたこともあった。「笑わば笑え」である。奉行を信じた者だけが、ささやかな饗宴の客となり、我が故郷の脈々たる大衆食文化の片鱗を味わう幸運を得たのだから。
ちなみに、拉麺奉行には天敵もいました。それは饒舌君と猫舌君でした。話しているうちに、あるいはラーメンを冷ましているうちに麺がのびてしまい「アルデンテ」の食感が台無しになるからだ。さらに自慢の舶来寒干しラーメンスペシャルが目の前でのびていくのは誠に持って忍びないことなのだ。
「お願いだから、早く食べて!」
思わず懇願してしまう私は、紛れもなく拉麺奉行だった。
(2004/08/15記す) |