ある日、妻が枕を買ってきた。
慢性の肩凝りで頸部痛に悩んでいた妻が、快癒を求めての買い物だった。
私の分もあった。
低反発のウレタン枕。その素材は、そもそもNASA が宇宙飛行士の打ち上げの加速度G(ジー)軽減のために開発した代物とのことで、手で 押すとゆっくりと沈みこみ、手を離すと、枕はゆっくりと凹みを押し返す。手で押したところには、手形がしばらく残り、どんな形にもフィットする性質が見て取れる。実際に使用してみると、枕は頭の形にくぼみ、なかなかに具合がよさそうだった。
結婚以来私の頭になじんでいたお古の枕は、その日のうちに退役し我が家から消えてしまった。
低反発で頭の形にくぼむハイテク枕、かつてNASA と共同実験をしたことのある私としては、NASAの4 文字に上機嫌でその夜の眠りについたのだった。
元来、肩凝りを知らなかった私は、その後、極度の肩凝りに悩まされるようになった。最初はわけがわからなかった。前日の手術(私の仕事です)のとき、無理な体勢をとったた めだろうか?先週末、15年ぶりにスキーに行ったせいだろうか?日常、知らず知らずのうちに自分の肩を揉んでいる自分がいた。それにしても長引く肩凝りだ。どこか体調が普通でないための症状かもしれないと考え、心当たりの漢方薬を何種類か、とっかえひっかえ服用してみたりもした。内臓疾患の可能性もあれこれ考えた。数週間の不安と苦しみの後、特に眠るときに肩凝りがつらいことに私は気づいた。注意してみると、頭の形が枕に刻まれているため、頭の部分だけ寝返りしにくいことがわかった。眠るのが恐怖になってきた。仕事上、肩凝りのお客さん(患者様)を外来で数多く見ている私だったが、ここに至り、肩凝りが生活を荒廃させうるほどの苦痛であることを知った。今までは肩凝りの本当のつらさを知らなかったのだった。
ある日、ついに耐え切れなくなって、私は妻に切り出した。
「最近、肩凝りがひどいんだ。枕のせいじゃないかと思うのだけど。。。」
非常に切り出しにくい言葉だった。妻のお気に入りのハイテク枕にケチをつけることになるため、妻を怒らせやしないかと、気が気ではなかったのだ。それでも、私が元来肩凝り知らずであったことを知っている妻は、私の肩を触ってすぐに事の深刻さを悟ったらしかった。
前の枕を返してくれないかといってみたものの、あれはすでにこの世のものではなかった。
「よーく考えよー、枕は大事だよー」
娘が生命保険のCFの替え歌を歌ってくれた。
その週末、私たちは量販店で枕を買い求めた。お古の枕と良く似た性質・大きさの枕を探した。
見つけたのは999円の半羽毛枕だった。こんなもので死ぬほどつらいこの肩凝りが治るのか、自分でも確信はなかったが、とりあえず試してみても現在よりつらいことにはなるまいというノリだった。家に戻り、さっそく私のNASA枕を妻に返上し、999 円の枕にカバーをかけ、夜を待った。祈るような気持ちで眠りに就いた。
翌朝、私は数週間の悪夢から開放されていた。さわやかだった。あの肩凝りはなんだったのだろう。強制退役させられたお古の枕の祟りだったのだろうか?
肩凝り症の皆さん、自分の肩凝りは、治らないと諦めていませんか?枕を変えてみたら、あなたの人生はすっきり明るくなるかもしれません。私の妻のようにハイテク枕が合う人間もいれば、私のようにローテクで癒される人間もいます。ダメで元々ですから、今までと違う枕を、2つ3つ試してみてはいかがでしょうか。
ダメで元々では、科学者の言葉としてははなはだ説得力に欠けますが、肩凝り地獄から生還した一人の夫の言葉としては含蓄ものです。
(2005/04/20記す) |