わが家には芝生の庭がある。現在の家を建てたとき、妻が望んで芝をはらせた庭でサクランボの木と躑躅と楓が季節のアクセントだ。エンジン芝刈り機を使うほどの広さはないが、メンテにはそれなりの手間がかかる。
造成後1~2年は青々として、パターの練習も出来そうなほどの芝だった。その後、クローバーにやられた。数年はクローバーの排除作業に夏の余暇を費やした。日光浴もかねて、Tシャツ・短パン姿でクローバーのツルを掘り起こした。しかしエイリアンのようなクローバーの増殖に、やがてわたしは戦意を喪失し、クローバーの盛る庭に順応した。クローバーに前後して庭の隅に蕗が根ずき、そしてこの10年はタンポポが庭の主だった。
クローバーには降伏したが、タンポポにまで無血開城では、一家の主としては、少々ふがいない。当初、むきになって抵抗運動をやってみた。御存知のようにタンポポの根を掘るのは大変である。農薬は子供の健康に悪いので却下。それ以外の方法で増殖を抑えるには、種子を根付かせないことだろうと考え、花摘みに奮闘した。綿帽子は風に飛んでいかないように、そーっと摘まなくてはならない。花や種子を取りこぼさないように、慎重に手作業をおこなった。それはまるで黄色とみどりのオセロゲームといった様相だった。数年間一進一退だったオセロは、もともと対症療法に過ぎず、わたしの順応にともない黄色タンポポ組の圧勝となった。
摘んでも摘んでも増殖するタンポポ。癌外科を生業とする私は無軌道な増殖を職業柄嫌悪するのだが、順応してしまったのには訳もあった。
今は昔のことである。長女が生まれる前だから8年以上前になる。ある夏の夕方、外出から戻った我が一家。車を降り、荷物を運ぶ私。玄関の横にたたずむ妻と長男。彼らは夕日を背に白い綿帽子のタンポポを摘み取り、息を吹きかけ白い綿毛の飛行
をのどかに眺めていた。なんとほのぼのとした母子の夕暮れだろう。メルヘンだった。
私も荷おろしの手を止め、種子の行方を追った。
ん、待て待て、何か変だ。
私の心に引っかかるものがあった。落下傘の着地点。それは、私がはいつくばってオセロゲームに悪戦苦闘しているその庭だった。私は青ざめた。晴天ならぬ夕天の霹靂だった。このゲーム、最初から私には勝ち目がなかったことに気が付いた。
『おい、何てことしてくれるんだ!』
叫ぶ私。メルヘンモードの妻は、私の叫んでいる理由も、彼女が望んで芝をはらせた
庭のおかれた運命にも気づいていない様子だった。
「このひと、何を怒っているのかしら??私は子供に情操教育をしているだけなのに。」
ってなもんである。
「いったい、これまで何回ぐらい、綿毛吹きをしていたんだ?庭にタンポポが盛るじゃないか」
答えに窮する妻。何も知らずに除草に明け暮れていた私はまるで、トムとジェリーの
マンガにでてくる間抜けなスパイク君のようではないか。
タンポポとのオセロゲームは罰ゲームとして妻子に引き継がせたが、彼女らは庭の主権の帰属にはあまり関心がないようだった。私の夏はなんだったのか。被害者意識も手伝って、日光浴と割り切るには、惜しい時間だったという気持ちが湧いてきた。その後そんな私も庭が見苦しくなければ、タンポポを容認できるまでに成長し、庭の主の種にかかわらず、時々電動芝刈り機を出動させることで妥協した。
4月5月旭川の春は一気に来る。福寿草で始まり、水仙がつづき、梅と桜とチューリップがいっぺんに咲く。
3年の米国生活から戻って初めて迎えたこの春は、厚顔のタンポポに加え、水色の勿忘草も根付いていた。妻の好きな花である。Forget me not.
庭の住人たちが花を陰膳にして私たちを覚えていてくれたようで嬉しかった。無事にふるさとに戻った安堵感を季節ごとにかみしめてもうすぐ一年になる。今はハーブの季節のちょっと手前。それは青空とタンポポの季節だった。
(2005/06/19記す) |