お父さんのエッセィ

『外科医の当直日誌』(2005/08/21)


『外科医の当直日誌』


 奇妙に思われるかもしれませんが、「私の病気はなんでしょう」という患者様の言葉に面食らうことがある。
 たとえば、夜11時の救急外来で、「3ヶ月前から時々左の腹部に違和感を覚える。症状は5分ほどで治まるが、不快である。最後に症状があったのは1週間まえの夜で、現在、症状はない。不安なので受診した。私の病気は何でしょう。」と、身を乗り出して詰問されるような場合だ。
 一般の方は、この患者様の言動に何の問題も感じないのでしょうが、救急外来の診察室で対応を要求される側は、実は少し困ります。
 問題点はどこにあるのでしょう。
 第一にそこが夜の救急外来であるということ。夜間の診療は割り増し料金がとられます。(診察室の隅に料金表があることがありますので、見てみて下さい。)100%自己負担の方でない限り、この方は、国民医療費の高騰に寄与していることになります。平たく言えば、自己負担金以外の部分で、読者の皆さんや私の収めた健康保険料(血税と言い換えてもいいでしょう)を浪費しているのです。訴えに緊急性がないことに注目してください。緊急性のない検査や処置を割増料金でおこなうのは、納税者迷惑です。
 第二に治療ではなく病名を知りたくて来院されていること。症状はこの1週間起こってなく、この目で症状を確かめられない状況、かつ初見で訴えを20秒ほど聞いた段階で、聴診器一つあてていない状況で、診断名を知りたいとおっしゃる。夜間救急外来では前述のような事情もあり、私はCTや内視鏡などの大型の診断機器を緊急時必要時以外にはむやみに稼動しません。特定の病気に特徴的な特定の症状を訴えられている場合は別ですが、彼の場合には、私はまず「現時点では、あなたの症状の診断名はわかりません」と答えるしかありません。
 まあ、それでは身も蓋もないので、その前後、少し質問します。症状の性質、起こり方、おさまり方、心当たりの誘因の有無、詳しい現病歴、既往歴、家族歴、アレルギー歴、職歴、余病の有無、常用薬の有無、食欲、体重減少の有無、便通の状態、嗜好品の有無等々。そして症状がないにしても、その部分を触診したり、聴診したり(おそらく腸がグルグル動く音しか聞こえないでしょうが)、診察デスクにある簡単な道具で頭から足まで、ざーっと診察します。実はアリバイ的な意味合いも含んでいるのですが、緊急事態を見逃さないための基本作業です。そして、考えられる病名を5つ以上挙げて(鑑別診断)、それに必要な検査も5つ以上挙げることになるでしょう。そして結論として、関係しそうな診療科に平日の日中に受診するように説得し、その科の先生に説明と依頼の手紙を書くでしょう(私は腹部外科医で、メスでお腹を切るのが仕事ですので、次回来院時に私がこの方を直接診る可能性は低いのです)。さらに、非常の場合にはいつでも来院するように、親身な表情で付け加え、最後に「ご質問はありませんか」としめくくります。少しのやり取りの後、安心のために、想定される病気に対して薬を欲しがる方もおられます。

 病院の儲けのためには夜間の検査も投薬も考えられますし、入院を勧めることもできます。しかし夜間の検査は緊急性がなければ前述の理由ではばかられますし、投薬も診断が確定せず且つ現在症状がないのであれば、心疾患などが念頭に浮かばなければ、むやみには出来ません。
 ここまで読むと、私の戸惑いは、もう奇妙ではないことでしょう。
 大きな病院でも、夜出来ることは案外限られているのです。目が痛くても耳が痛くても、腹部外科医が出てきたりします。文字通りの「救急」疾患以外への対応は意外に想定外かもしれないのです。さらに現実にありがちなのですが、その方の次に胸痛で真っ青な顔をした患者様が待っていたら、どうでしょう。何事も一概には言えないのですが、皆様がこの方、もしくは私の立場だったら、どうされるでしょうか?
(2005/08/21記す)