お父さんのエッセィ

『偏食は楽し』(2005/10/22)


『偏食は楽し』


 自他共に認める偏食家である。説明が大変なときには菜食主義を標榜することにしている。実際には主に肉料理がだめなのだが、社会に出てからは牛肉だけは食べられるようになってきた。ただし牛といえどもwell doneは今も御免こうむっている。

 なにやら単なる贅沢者との見方も出来るかもしれない。
 他人のせいにしても詮ないことだが、自分としては学童期の給食で、硬くておいしくない(少なくとも私はおいしいと思えなかった)肉料理を強制的に食べさせられたトラウマだと勝手に思っている。
 まずいものはまずい、ゴムを噛んでいるような食感も嫌だった。食べあぐねていると、完食するまで昼休みの教室に居残りさせられ、遊びの輪に入ることができなかった。窮余の策として、先割れスプーンをナイフのように使って硬い肉を小片にして丸呑みした。肉片が大きめだと、のみ込むときに涙が出たものだ。なかでも鯨肉のから揚げは始末に困った。ことに硬くて、文字通り閉口した。

 私が社会に出たのは、医師にとっての古き良き時代??だった。ぺーぺーの研修医も仕事絡みの会食の末席に加われた。当初肉料理は嫌だったので、特別に魚料理をサーブしてもらったりしていた。まじめに研修していたので、先輩医師たちも私の偏食に寛大だった。
 そのうち、兄貴格の医師が、私の好き嫌いの仔細な症状から考えて、牛はレアなら柔らかいので、食感もよく、食べるに値するはずと教えてくれた。その通りだった。ことに霜降りの和牛は大トロのように口の中で溶けるような食感で至福の味だった。
 口に牛肉、目からウロコ。お肉の沙汰は金次第。二十数年間肉料理を忌避していたことを心底後悔した瞬間だった。

 米国留学に出るときは、肉の本場のような国で、やっていけるのか心配だった。いつも霜降り肉ばかりを食べるわけにもいかないだろう。日本との直通便のない内陸の州でご飯と納豆と刺身が調達できるのか心配だった。
 いってみると、アジア系商人が東洋食品の物流を確保してくれていたので、ある程度のモノは貧乏研究者でも手に入った。それでも刺身などは贅沢品だった。しかし、神様もよくしたもので、私は日本の精進料理以外にも食べるに値する料理が多々あることを知り始めた。
 まず、ファーストフードは安価だがどれも結構いけた。ドーナツは甘くて美味しかった。米国のテレビドラマをみていると、オフィスで大の大人がドーナツをほおばるシーンを目にすることがある。あれは甘くて美味しいからで、リアルな描写なのだと解った。
 ハンバーガー然り。アメリカ人の3人に一人が肥満体というのも納得できた。柔らかめのフランスパンで作る巨大サンドイッチ、地元のケイジャンやクレオール料理。南部州ならではのメキシカンは野菜や豆と肉のコンビネーション料理。どれもいけた。
 帰国のときには、メキシカンから離れるのがつらくて、故郷にメキシコ料理の店を自分で開業したいと真剣に思った。日本人の口に合うはずだ。

 肉料理も実はいけた。アメリカ入国直後に、現地の友人が、庭でバーベキューを振舞ってくれた。This is the beef! という存在感にしり込みしつつも、せっかくの御相伴だし、これからこの国で生活するのだからと、意を決してスペアリブに挑戦した。友人の歓迎の気持ちも、牛肉もたいそう旨かった。そもそも辛抱知らずのアメリカ人がまずい料理を百年も二百年も守り続けるわけがないのだ。言ってみればあぶるだけの簡単な料理だが、かくも旨いのは気候風土のせいなのだろうか? 世界中、地元料理というやつは、そういう理由で試してみる価値はある。

 3年の留学で5Kgアメリカナイズした(太った)。日本に残しておいた背広もスラックスも合わなくなっていた。実地調査は健康を害さない程度にしたいと考えている。豚・鳥・鯨・ウサギ・ワニ・カエルの肉など、未だ課題は多い。
(2005/10/22記す)