一般病院の週末の当直は、概して時間に余裕がある。急患待ちが任務なので、暇に越したことはないのだが、春のうららかな日にはサクラでも見ながら青空を見上げる時間があればこそと、口惜しい思いもする。当直室は大体にして個室なので、なかには、恋仲の看護婦さんや馴染みの夜の姫君を連れ込む強者もいると聞いたことがある。私?いえいえ、滅相もありません。妻子のある身です。私が連れ込んだといえば先代のネコあかねぐらいのものです。病院にネコ、非常識に聞こえるかもしれません。もう時効ですから白状しましょう。
あかねのレクイエムを以前わいふに取り上げて頂きましたが、その子がまだ生後半年の子猫で、めんこい盛りの冬でした。医局から年末年始の当直が下命されました。私は、自宅から車で3時間のK市・K病院での寝ずの番でした。しかし、妻は妻で当直があり、どうしてもあかねをみる人の手配がつきませんでした。若い頃のはなしで、上意に異議を唱える勇気もありません。かといって年末年始の繁忙期には当直のピンチヒッターは望めません。飼い主にしか慣れていないネコをおいそれと預かってくれる知り合いもなく、ペットホテルは良くない思い出があり不可。子ネコを、何日も真冬の我が家に一匹でおくことは何とも心配でした。そこで窮余の策としてネコ同伴の出勤を決意したのでした。ちなみに、私の罪が非常識にあるなら、「君しか人がいない」と言い放って当直を命じたその上司も同罪です。その上司はこっそり常夏の島で年越しそばを食べたという話ですから。
雪の峠を越え、私は愛車を走らせた。ナビシートにはあかね。後部座席にはネコの餌場とトイレ。向かうはK市・K病院。年越しの診療応援だった。病院の駐車場にはいると、私はあかねをボストンバッグに押し込んだ。病院の玄関をくぐる。事務職員が当直室まで案内してくれる。エレベーターの中で、あかねがむずがる。ボストンバッグががさごそ歪む。職員がこっちを向く。気付かれたのか。私はバッグを背後に廻した。ようやく当直室にたどり着く。ラッキーなことに完全個室で、病棟ともフロアーが別になっている。設備の説明を聞きおわるとドアをロックしてあかねを放す。まずは一息。頃合いをみて餌場とトイレを運び込み、ネコを連れた外科医はスタンバイを完了した。
いい訳ですが、あかねは病棟と離れた当直室に隔離状態であり、衛生的に問題はなく、人畜無害と言えました。救急患者が来ると私は注意深くドアをロックして診療におもむき、診療が済むと、注意深く当直室にもどり、ネコ付きの布団にくるまるのでした。夜中におこされるあかねは可哀想だったが、これも『外科医に飼われたネコ』の定めと諦めてもらうよりない。実はうちのネコには代々課している役割がありました。それは『霊除け』。私は結構ネコの魔力に期待していました。病院というのは歴史があればあるほど、超常現象の特異点となるわけで、霊除けのネコ付きの布団は実に安心でした。
しかし、この平穏は二日目の昼に終わりを告げました。私の診療中に事務職員が掃除にはいり、(当たり前だが)不用意にも、あかねの逃走を許してしまったのだった。ネコ同伴がばれたことは、ばつの悪いことだったが、あかねが行方をくらましたことが何よりショックだった。異境の地で、迷子のあかね。見つけられなかったら、置いて帰るのか。心が痛む。くだんの事務職員からあかねの逃走方向を聞き出し、必死の捜索に乗り出した。幸いにも外来にお客はなく、わたしは捕り物に集中できた。ラッキーにも、隣の棟のトイレでなんとか身柄を確保した。ここにいたって、あかねは晴れて『外科医に連れられたネコ』として広く認知されることになった。ときに、雪降り止まぬK市の正月2日のことだった。
それ以来あかねは『外科医を連れたネコ』として、否、あたしは『ネコを連れた外科医』として伝説の人になったのでした。
(2006/02/20記す) |