泣く女を目の当たりにすると、オトコは狼狽する。自分に非がなくとも、いじめっ子になったような気がして非常に困る。ことが恋愛問題なら、泣く・泣かせるに至った経緯を棚上げかチャラにして、彼女をなだめることになる。この手の痴話言なら犬も喰わない。問題は、仕事上の泣く女である。
世の中のすべての女性に対する悪口ではない。現に私の妻は「仕事の現場で泣くのは反則」との立場をとっている。私自身、看護師さんなど女性の多い職場で働いているので、わが妻のように頑張り抜く女性が世の中の大半であることは認識している。しかし、仕事上の困難・失敗・叱責にあたり、とりあえず泣いてみるという手合いは存在する。故意でなく本当にパニックになる人の場合は、こっちも狼狽はするが、病気なので怒りはわかない。この人は職種の選択を誤っただけだ。一方、劣勢挽回のため、伝家の宝刀を抜くように泣く(とりあえず泣いてみる)女は、始末に負えない。常習犯なら周りの女性に見抜かれることもあるらしいが、オトコはやはり狼狽する。結局、同僚の男性や泣かないで頑張っている女性が割を食う。反則であると私も思う。
たいてい騙されるのは、我々の上司である。どうしておじさん達は若い女の涙に弱いのか。狼狽した上司のそばで、中間管理職は、時に、はめられたことに気づく。しかし、その場で彼女の計略を暴くことは名探偵コナンでもなければ不可能である。どんな論陣も涙の前では野暮にしか映らない。鈍い上司にまで腹が立つ。
劣勢をチャラにするための涙、得をするため・楽をするための涙は、ずるい。男女機会均等法はどこにいったのかと悲しくなる。そういうエイリアンとはなるべく関わらないようするしかない。そして、オオカミ少年の寓話を思い出し、いつか天罰が下ると信じるしかない。でも、往往にしてそういう人は幸せな一生を送るんですよね。わいふの新生早々に物議を醸す話題で恐縮です。(雑誌・新生わいふ320号への投稿原稿)
(2006/04/26記す) |