紅葉からこっち白銀の世界の降臨を待つ間、秋の陽は低く、北海道といえどもちょっと暗い日が続く。小春日和なら良いが、どんよりとした雲の下、また、ぱらつく雨の日ともなると、氷結一歩手前の凍える寒さは温度以上に身に応える。かじかむ両手の指先に白い吐息をこすりつけながら、ひっそりと冬支度に追われる。日照時間の減少とともに気分は憂鬱となる。南国育ちの妻などは、雪虫をみると悲しくなるとこぼす。
季節感と陽の高さは、この時期、留学先米国アーカンソーでも似たものだった。ただ、10月末のハロウィーンからクリスマスまでは、パーティーシーズンたっだ。日照時間や木枯らしと関係なく、前向きな雰囲気が満ちていた。職場や仲間うちで、レストランに行ったり、ホームパーティの応酬。グリーティングカードを書いたり、プレゼントを選んだり、あるいはポットラックの準備に忙しい日々だった。
考えてみると彼らは、一年365日のうち、1から2ヶ月は夏休みで、2ヶ月がパーティーシーズンだ。さらに週休二日は当たり前。9時から5時の勤務時間も、夏時間には前倒しで、平日も夕方ゆっくりと家族と過ごしたり、趣味に生きる。金持ちは金持ちなりに、そうでない人もそれなりに、季節とその年中行事をエンジョイしているのだ。
とりわけ四季の変化のはっきりした北海道では、季節感は骨身に応えるほどのインパクトがある。しかしマスコミやデパートが告げる折々の行事の到来は、希薄にしか時の移り変わりを教えてくれない。お年玉をもらう元旦の凛とした空気、クーラーのない夏の暑さとスイカの甘さ、芝生に舞い落ちる銀杏の葉の黄色の鮮やかさ。子供の頃、あれほど強烈に感じていた季節感をどこに忘れてきたのか。なりふり構わず馬車馬のように働く40代夫婦の一年はどこもこんなものだろうか。貧乏だった留学時代。それでも子供達とそれなりに季節をエンジョイしていた。今より豊かだった気さえしてくる。
(2006/10/23記す) |