お父さんのエッセィ

『外科医の当直日誌5-死して残すもの-』(2006/10/25)


『外科医の当直日誌5-死して残すもの-』


 9月某日深夜、1年の闘病の末、Wさんが亡くなられた。肝臓に転移した�期の大腸癌だった。
 1年前、大学病院で大腸外科チームを率いていたとき、その8月に彼女は紹介されてきた。口数は多いが、気のいいおばちゃんといった印象の方だった。大腸癌を切除し、肝臓は化学療法で治療する方針となった。本人・ご主人・娘さん・息子さんに病状と治療方針を説明したとき、『先生を信じます、すべてお任せします』というのが彼女の答えだった。私の説明には選択の余地もないものだったが、ご理解を得ての返事だった。
 手術を順調にこなし、点滴化学療法のための小手術と第一回の点滴化学療法の反応を確認した後、治療継続のため彼女は近所の病院に移った。近親者のうちお世話の中心人物をキーパーソンというが、彼女の場合は娘さんだった。美人の娘さんは、まっすぐに話し手を見据えて説明を聞き、質問する方だった。病状説明の要求は、ほかの患者・家族よりも多かったが、Wさん同様、娘さんも嫌みのない方だった。娘さん・息子さんのまっすぐな目に、化学療法では多発した肝転移は押さえきれないだろうから、予後は半年ぐらいかもしれないと話した。先方の医師には、状態悪化のあとでは大学病院に戻しにくくなるので、場合によっては看取ってくれるように依頼した。
 そうしてWさんが転医し、しばらくの間、私は彼女のことを思い出す暇もなく、日常の診療に忙殺された。翌年3月末、私は大学を去り、市中病院に移った。同時期の人事異動で、Wさんの通う病院の担当医も異動となった。その後、彼女は私の勤める病院へ来ることになった。
 すでに半年がたっていた。申し送られた検査データでは病状は徐々に進んでいる様子だった。しかし快活なWさんには生きるエネルギーが感じられた。ボクシングで言うと、ファイティングポーズが出来ていた。私は、化学療法のメニューを組み直した。ただし地方都市で車を持たない彼女には、通院は大変なことだった。そこで、家族の協力で、2週間に一度、2泊3日の入院で治療することとした。
 入院の度、回診の度、Wさんは私を褒めちぎった。『先生はいい男だね』、『先生、休みの日もご苦労さんだね』。周囲の入院患者さん達にも『あの先生は良い先生なの。私はあの先生を信じて、すべてお任せしているから』と宣伝してくれていた。口数に閉口する同室者もたまにはいたが、Wさんの病室はいつも明るい雰囲気だった。
 医療者が患者さんを励ますのが通常の人間関係だ。これとは反対の彼女の私へのリップサービスは止むことがなかった。つらいときも、彼女は、医療者にあたることは決してせず、嘔気に耐えながらでも、リップサービスは続いた。少しでも気持ちよく治療してもらいたいという彼女の不断の努力(良い意味で、身に付いた処世術かもしれない)なのだと気づいた。
 助けてあげられないことは承知していたが、私は笑顔で、『大丈夫、任せておきなさい』と、調子を合わせ、いつも前向きな治療姿勢を貫いた。お盆をすぎると、化学療法は困難となり、緩和医療に比重が移っていった。娘さんへの病状説明は、回を重ねるごとに、重苦しい内容になっていった。全身状態の衰えというヤツは、家族が一番よく認識しているものである。追い打ちをかけるように、返す言葉もないような説明もしなくてはならない。こんなときは、美人の娘さんにまっすぐ見つめられるのがなんとも気重なことだった。
 そして、9月某日、Wさんは静かに息を引き取った。
 『おかあさーん』
 気丈だった娘さんの高音の涙声が、夜の病棟を通り抜けていった。
 Wさんとは信頼関係を築けていたと思っていたが、これは彼女の哲学に依る部分が大きいと感じていた。その一方で、まん丸い目で病状説明を聞いていた娘さん・息子さんは納得していたのか?お母様の死は納得していたとして、われわれ医療者に不満はなかったのか?そんな思いを胸に、私は病院の裏玄関を去るWさんに深々と頭を下げた。
 数日後、初七日も済まないうちに、Wさんの娘さん・息子さんがわれわれの病院を訪れた。
『きちんとみなさんに挨拶をしないと、おかあさんに怒られるから。』
二人は曇りのない目でわらって、お菓子の包みを手渡してくれた。すがすがしいほどの健気さであった。感服した。Wさんの心と生き方はお子さん達に確かに受け継がれている気がした。心底、Wさんのご冥福をお祈りしたい気持ちになった。
 近親者の死に狼狽し、医療関係者に暴力をふるったり、施設を壊したりする方もいる。そうでなくても慌ただしい日々、病院に挨拶になど来られない方も少なくない。Wさんのお子さん達のけじめのつけ方はどうだろう。口数の多いおばちゃん、ただ者にあらず。私も、あなたのように子供達を育て上げたいものですと、人生の先輩のことを心に刻みました。

(2006/10/25記す)