最近のニュースで、関西空港などでは、男性トイレの小便器に的のマークをつけて、放尿時における、そそうの率を有意に減少させたとの記事がありました。『男の責任』というCMもありましたが、トイレ掃除担当者には朗報です。どうやら的をねらうのは、男のサガらしいです。トイレといえば、4年前のわいふに、アーカンソーの伊藤先生が中国旅行の紹介をされたときに、女性用トイレの事情を書いておられました。金隠しとドアのないトイレだったと記憶しています。トイレ事情は、壁の落書きを見るまでもなく文化を色濃く反映するもののようです。
女性読者には、あまり馴染みがないでしょうが、男性トイレにもお国事情は濃厚に表れます。かつて欧米では、入国一番、国際空港のトイレでさえ、『今度生む』の自販機は当たり前でしたが、今もそうでしょうか。飛行機を降りての初めての欧米体験は、こわもての係官に睨まれての入国審査もありますが、『出物腫れ物所構わず』の生理現象は待ったなしですから、言葉がわからなくても、トイレの絵さえ認識できれば、即、異文化体験ということになります。
私の初めての異文化交流も下腹部の緊張感とともに無言で行われました。たしかローマだったと記憶しています。部屋か便器か忘れましたが、強烈なエンジ色がその印象でした。そして、切迫感にもかかわらず小便器を前にして、事の遂行を躊躇した記憶があります。出したいけど、どうしようか。中国での伊藤先生も同じような思いをしたことでしょう。男性トイレには文化的ハードルがあったのです。文字通りのハードルでした。小便器の位置が高いのです。事に及ぼうとすると、小便器の下部の張り出しに、いちモツを乗せ上げるような印象になるのです。本当に載せると汚いですから、ためらわれたわけです。実際にはぎりぎりセーフでしたが。
緊張を解放した安堵感の中で、私は徐々に屈辱感を味わいました。このシチュエーション、私には子供用小便器がお似合いであると欧米文化が語っているような気がしたのです。指摘されるまでもなく、東洋人は白人より脚は短いです。自覚もしてます。でもこの現実はカルチャーショックでした。ただ、緊張を解いた余裕で周りを見ると、のっぽの人もいますが、私と同じくらいの背丈の旅行者も普通です。してみると奴らも同じ屈辱感を味わっているのか、単に気にならないのか。
このとき私が連想したのは、アレキサンダー大王の軍隊の話しでした。彼は、領土拡張戦争にあたって、自軍の兵士に、故意に大きめの甲冑を着せて、遠目に巨人の軍隊の到来を演出し、相手の戦意を奪ったという話です。
小便器をみて、日本男児(小柄の人種)の戦意を奪う作戦とみた!しかし、小生、この屈辱に戦意を喪失することはありませんでした。文化の違いというやつは面白いもの、旅行中にどんどん体験し、敵さんを見極めてやろうと決意した瞬間でありました。
(2006/12/10記す) |