小中学校の夏休み、北海道ではお盆明けには終了する。ちょっと短い分は冬休みを長くして帳尻をあわせている。さて、夏も冬も、長期休暇につき物なのは、自由研究という名の宿題である。私の子供の頃も、そうであったが、定番は工作や書き初めであろうか。
わが家では、現在高校生の長男の小学校6年間には、貼り絵、書き初め、雪の研究(本の記事をまとめて、とりのこ用紙《妻は模造紙のことをこう呼ぶ。》に書いたもの)、ビー玉の俵ころがしの手作りタワー、等々毎年知恵を絞って力作をこしらえた。現在小学4年生の長女のためには、感想文、手作りフロアースタンド、紙粘土製のペン立て(フロリダで拾った貝殻を象嵌にした)などなど。両名とも親が手をかしている。親が手伝った痕が、みえみえでも、『子供も参加しているのだ』というアピールを忘れないように気を配っている。毎回、作品の制作方針について夫婦喧嘩しながらの作業である。けっこう骨の折れる仕事だ。
子供の自由研究を親が代行するのは、本来誤った態度だと思う。最初は、宿題遂行のノウハウを教える必要があるとの判断だった。次の年からは独力でやらせて、自立心を育てるつもりだった。現実には、テレビゲームに興じていた長男は、小学校の6年間で自発的に作成した自由研究は数回のみ。始業式の日が迫ると親が根負けして作品作りを始めてしまっていた。逆に長女はアイデア・構成はまとまらないが、とにかく手を出したくて出したくて。こっちの方が親としては罪が軽いわけだが、工作用具の使い方を教えたりし、あちこち汚さないように気を配りつつ、作品の完成度を高めるように苦労している。
ところで、話を聞いていると、実は先生の方でも親が手伝った作品は、工作にしても、感想文にしても、明らかに分かるのだそうだ。大人と子供の感性の違い、そして完成度の違い、当然と言えば当然、バレバレだ。ここいらへんは、先生と親の、暗黙の了解で成り立っているらしい。でも、問題もある。みえみえで、バレバレでも、そういった作品が、表彰の対象となるということだ。出来の良い作品だから当然表彰の候補となるのだろうが、親の援助なしに頑張った子供の立場はどうなるのだろう。
ところで私は、子供の時分そういう宿題を手伝ってもらった覚えはない。カッターで指を切ったり、机を糊まみれにしながら制作に励んだ。今にして思えば、所詮子供の手による駄作である。それをしり目に、立派な作品を持ってくる子は、当時も存在した。不思議に思ったものである、『どうしてあんなすごい発想で立派な作品が作れるのだろう?世の中には、自分とは格の違う、すごい子供がいるもんだ』と。(もしも本当の天才なら、名誉毀損をお詫びするが)今にして思えばその多くには『親の手助け』があったはず。それらの秀作は、子供心に別世界からの品のように不思議に感じられていたわけだ。子育てを始めてから、私はこのからくりに気がついた。25年ぐらいこのことに気づかなかった私は脳天気だった。気づいたとき、子供時代、自分は損をしていたのかなとも思ったが、翻って今、わが子も含めて手伝われ過ぎた子供をかわいそうとも思う。その子の自由な発想の芽を摘んでしまったかも知れないことを恐れるからだ。ただし、我が子がカッターで手を切るのを黙ってみているほど、外科医の私は肝が据わっていません。ダメな父親です。
ダメ親の戯言ですが、助け船は1~2回ぐらいで我慢するのが、現代の親としての節度ではないだろうか。(一切手出ししなかった私の親は偉かった)。ただ、もしそういう作品を表彰してくれるなら、親子連名で表彰して欲しいのも。わが子が自分の力を過大に勘違いしないため、そして、親への慰労をこめて!!
(2007/06/28記す) |