お父さんのエッセィ

『外科医の当直日誌6 ―外科医の外科医以外の部分―』(2007/10/26)


『外科医の当直日誌6 ―外科医の外科医以外の部分―』


 風邪の季節です。読者の皆様は、ハーブ・玉子酒・先祖伝来の秘薬など、何か特別な対処はお持ちでしょうか。私は風邪薬は漢方薬にしています。それも症状や病状の変化に合わせていくつかの漢方薬を使い分けています。

 一般の総合感冒薬(病院で出してくれる西洋薬、普通の風邪薬のこと)は、たいてい鼻水止めの成分が眠気の副作用を持っており、私の場合、通常量を一服のむと、泥のように眠りたくなり、丸一日活動不能になる。医学生の時代、風邪薬をのんだために講義中に不本意ながら居眠りをせざるを得なかった記憶がある。
 インフルエンザ以外の風邪に特効薬はなく、これを発明すればノーベル賞ものだ、などという言い方はよく知られている。そうであるなら、風邪自体の自然治癒経過は縮められないのだから、鼻水を止めるためだけに一日中意識朦朧となるというのは、それほど得なことではないと思った。
 しかし、医者になった後も、風邪の患者さんに、「風邪薬で、眠たくなる体質ではありませんか?」と確かめはするものの、総合感冒薬や消炎鎮痛剤など何種類かの薬を症状にあわせて処方していた。それなりに症状緩和に効いていたはずですし、厚生省認可の立派な医薬品でもありますが、私自身がのめない薬を患者さんに出すことには違和感があった。もっと切実な問題として自分用に何か「まともな」風邪薬はないかと日々模索してもいた。そんなときに出会ったのが漢方薬であった。葛根湯なら、TVで宣伝もしているし馴染みのある向きも多いかもしれない。ほかにも、風邪で調子を崩した極早期に用いる薬、長引いたときの薬、のど痛の薬、鼻水の薬、体力のある人用の薬、体力のない人用の薬などなど、きめ細かく風邪に使用できる薬があることを知った。

 そもそも、漢方薬との出会いは、10数年前、人口2500人の山間の町に半年間の出張を命ぜられたときだった。病院に来る患者さんの多くが高齢者で、腰痛、神経痛、血圧、糖尿、慢性胃炎などなど一人の患者さんが実に多くの慢性疾患を患っており、診断名と症状にあわせて10ぐらいの薬を毎回抱えて帰る状態であった。馬に食わせるほどというやつであった。誰でも思う素朴な疑問を私もいだいた。一人の人間の病気なのだから、もっと少ない数の薬でなんとかならないものか。そんなとき、前任者が何人かの患者さんに処方していた漢方薬が目にとまった。漢方薬は、生薬を組み合わせているので、一服といえども、厳密には10ぐらいの薬をのんでいるのと同じかもしれない。しかしその一服で体質改善までをももくろむ異世界の発想は新鮮だった。
 漢方薬の効果は、マイルドなので長期間続けないといけないとか、そもそも効くものなのかとか、眉をひそめる患者さんもいる。でも、モノによっては、お湯に溶かしてすすっているうちに、症状が緩和されるような、劇的な漢方薬もある。だいたい、10種以上の西洋薬を処方されていて、ようやく症状と均衡をとっている状態で、漢方の方が効きが悪いなどという比較もおかしなものである(一般論です)。

 その後、外科医として、西側文明の先端を意識しながら、その一方で漢方の講習会にも出かけました。そのなかで、「風邪」は単純に「風邪」の2文字で片付けられるものではなく、ひきはじめの状態から、治癒まで、もしくはこじらせた状態まで、いくつもの状態を変遷していくものであるという当たり前のことを再認識させられました。ちなみに学生時代に買い求めた内科学の教科書は1563頁のものでしたが、風邪症候群の項目は正味1頁であり、風邪症状の変遷については記載がありません。こうした概念に気をつけていれば、西洋薬でもきめ細かな処方が成り立つのかもしれないが、変化する状況に対応するのは、実は一日3回食後の内服では追いつかないこともある。対する中医和漢は長い歴史のなかから、相応の実を実らせ、万能ではないにしろ、もう少し痒いところに手が届くように出来ているように思われる。
 普通の薬で、風邪を上手に治す医師は日本中ごまんといらっしゃると思いますが、普通の薬を受け付けない私は、とりあえず、自分の症状にはとっかえひっかえ漢方薬を使ってみているというわけです。
 漢方盲信というわけではありません。使い方を知って、効率よく疾病に対処できれば、西洋薬も漢方薬も有用なのです。黒いネコでも白いネコでも、ねずみを捕るネコが良いネコということでしょう。

 いまでこそ、漢方は、医学教育のカリキュラムにも登場するようになりましたが、我々の学生時代には漢方は大学とは関係のない世界でした。麻酔科医の妻と私は10年以上、漢方の講習会に通いつづけています。門前の小僧をしている間に、進歩のない私をよそに、妻は漢方の専門医になってしまいました。自身の不徳はさておき、身近に漢方の生き字引があるのは悪いことではありません。まだまだ薄い字引ではありますが。(妻よ、失礼をゆるせ、これでも精一杯褒めているのだ。)


(2007/10/26記す)