お父さんのエッセィ

『外科医の当直日誌7-人智の向こう側・パワーストーンの話-』(2007/12/30)


『外科医の当直日誌7-人智の向こう側・パワーストーンの話-』


 夏のある日、ある患者さんの入院が決まった。
 大学病院の外科で、ある手術を受けた後の方でしたが、今回はたまたま見つかった胃の疾患の治療のために当院に入院するのでした。
 とにかく今回は胃の話。で、大学病院で受けた手術は全く別の臓器に関するモノ。彼女は、あちらでの手術後の経過が思わしくなかった様子。伝聞から私が思うには、経過は通常想定内のモノ。ただし、主治医が術前からきちんと説明をしていなかったため、手術に問題があったと、頑固に誤解し、被害妄想的な感情を極度に増幅させていたようでした。おまけに、それについて主治医に訴えたところ、もう治らないと突き放されて、さらに事態はこじれていた。
 彼女は、胃の治療の説明を試みる私に向かって、大学への恨み辛みを語り、『先生にはとことん聞いてもらう』とのたまった。私は彼女のエンドレスの繰り言に辟易しながらも、なんとか彼女の気持ちを明るい方向に向けようにとアドバイスを試みた。それでも数十分にわたり胃の治療と関係のない不満を述べまくる彼女。診察室の外には、次を待つ外来患者さんの列が延びていた。ついでにいえば、なぜか、横にたたずむ旦那さんは、彼女を止めようとしなかった。疲れ果てているのか、夫婦の人間関係に問題があるのか。
 私には、彼女が放射能火炎を吐き散らすゴジラのように、真っ黒いオーラをまき散らしているように見えた。その恨み辛みを聞いているだけで、自分の魂が黒ずんでくるような気がした。

(注1:オーラや魂のことは、私は詳しくありません、あくまで比喩です。)
(注2:医師たるもの、患者を、病んだ一個の人格としてとらえ、全人的に癒しをもたらすべきなのでしょう。わたしも心意気は持っていますが、所詮、外科医は技術屋で、カウンセリングのプロではありません。厚生労働省も、門外漢のそういう努力には診療報酬を認めていません。)

 その患者さんが、胃の治療のために入院してくる日が決まった。
 私は、魂を蝕まれるようなあの感覚が恐ろしくて、入院の前日は暗い気持ちになっていた。いても立ってもいられず、その夜、とあるショッピングセンターに、魔除けの品を探しに出向いた。何でも良かった。鏡でも、パワーストーンでも、密教仏具でも。そこでようやく見つけたのが、曲がりなりにも魔除けの効果が謳われている2種類のパワーストーン。一つは、ブラックオニキス、もう一つはマラカイト。その二つのブレスレットを大人買いして、私は運命の日を迎えた。
 さらには、自宅の引き出しにあったポケット鏡を白衣の胸に忍ばせた。看護職員の間では、鏡は魔を跳ね返すと信じられているからだった。

   当日、お昼過ぎの胃カメラでその人の治療は無事に終了した。何かあったら、酷いクレームを聞くハメになることが想像されていただけに、安堵の気持ちが大きかった。その日の午後、別の患者さんの検査の終盤、買ったばかりのマラカイトのブレスが切れて、玉がはじけ飛んでしまった。乾いた音をたてて床をはねる玉たち。残ったのはブラックオニキスのブレス一本。この一本で、首の皮一枚残すように魔から生き残ったような気がした。私の中で、なにか憑き物が落ちたような、はっとした感覚が広がった。マラカイトが身代わりになって私を守ってくれたような気がした。私は、飛び散ったマラカイト玉を拾い集めながら、気持ちが晴れていくのを自覚した。
 数日後、まがまがしかった彼女の表情は明るくなった。それは、胃の治療が成功したためか、同室の患者さんと気があって会話が弾む様になったためか、はたまた魔除けグッズのご利益か。理由は見るものによる。私は拾い集めたマラカイト玉に、足りない分を買い足して、感謝を込めてブレスを再生した。

 その数週後、術衣のポケットに入れていた鏡が割れた。別件の危機的状況を乗り切った直後、鏡がポケットからするっと落ちて、その役目を終えたのでした。彼女だけが魔だったわけではない様子。そこで、私はもっと強力な魔除けグッズを探しました。そして、黒水晶が降魔破邪の強力な効果をもつことを知り、そのブレスを購入しました。さらに、ストーン達の浄化用に水晶のクラスターも購入しました。そして今や、診療の時は、魔除けのブレス3種。仕事の時はタイガーアイにヘマタイト。車の運転の時はラピスラズリ。携帯ストラップには翡翠。ポケットには新しい鏡も入っています。
 魔除け以外は洒落です。仕事も、学問も、特段何かに頼ろうとは思っていません。ただし病院に勤めていると、まがまがしい怨念や、黒いオーラや、患者さんに憑いたもののとばっちり、などなど、もらい事故のように魑魅魍魎がやってくるような感覚に時々襲われます。それぞれの事象に科学的な説明はつきますが、それでも巡り合わせの不運のようなモノはあります。いわしの頭も信心から、と言ってはストーン達に失礼ですが、やつら、私の精神衛生には良いようです。
(2007/12/30記す)