お父さんのエッセィ

『桜桃』(2008/06/28)


『桜桃』

 今は昔、19才の息子が2才の時に、わが家を建てた。その直後、駐車場にすれば6-7台分のスペースの前庭を少し好みをいって造園して頂いた。パットの練習が出来そうだった芝生でのタンポポとの攻防は以前報告した。タンポポに負けずと勿忘草やレモンバウムも、いつの間にか思い思いの場所に根付いた。花壇は妻の楽しみの一角だ。土を入れていただいた後、彼女は数年かけて仕掛けを施した。ロンドのように春から初夏を彩る福寿草、チューリップ、ジャーマンアイリス、芝桜、ラベンダー、擬宝珠。少し目線をあげると、2種のツツジは造園業者の厚意による。当地ではこれも少し遅い春の彩り。低い塀ぎわの松や楓などは今や二階建ての屋根に届きそうな勢い。そして庭の真ん中にはサクランボの木。

 花と実を子供達に楽しんでもらえるように、桜桃は妻が特に注文した。植樹の数年後からでも楽しめるようにと、ある程度の成木を植えて頂いた。品種は聞いていないが、味はよい。おっとりタイプの長男は、花を愛でるでもなく、妻を手伝うかたちで、初夏の味覚を収穫しては楽しだものだった。その桜桃が更に成長し、こずえの実はスズメの取り分にするしか方法がなくなった頃、長女が生まれた。造営にいろいろ注文をつけたわりに、総額を値切ったためか、桜桃は不思議な枝振りだった。オムツの取れないころには、サクランボの実を見上げては、あれが欲しいと、我々に注文していた長女。自然児の長女は、やがて、木登りをして自らサクランボの収穫をするようになった。
 不思議な枝振りが幸いし、小学生には格好のジャングルジムであった。自分の体重を気にする必要のない長女は、高さ2m以上の、枝がしなる場所までも登っていた。親としては、気が気でなかった。枝が折れはしないか。それに古人も言っている、猿も木から落ちるのである。

 それにしても、二人の子供達のキャラクターの違いが面白い。長男は、●●の高上がりにはあまり興味を示さなかった。一方、サルのごとく身軽な長女は、これまたサルのごとき友達を連れてきて、季節を楽しんでいた。どちらにしても、無農薬のサクランボは、取り放題で、洗わずともおやつには最高。気になるなら庭隅の散水栓でちょっと埃を洗い落とせばよい。そして、無農薬のサクランボは、鳥や虫たちにも取り放題。早い者勝ち。こうした育て方の方が、子供達は免疫的に丈夫に育つのではないか、医学的な裏付けをお示しできないが、妻も私もそう信じている。
 とにかく、子供達はそれぞれのやり方で妻の仕掛けた季節の風情を楽しんだわけだ。

 性格のみならず行動もアウトゴーイングな長女が男であれば、そんなことが口惜しいのは男親のわがままか。その長女も、今年は木登りをしなくなった。服装に気を遣うようになり、恥じらいを覚える年頃になりつつあるようだ。ちょっと寂しく、ちょっとうれしい。
 この文をモノしているのは北海道の6月末である。いまを盛るサクランボの赤い実は、今年、おおむね鳥たちの取り分となった。


(2008/06/28記す)