この1週間で、たまたま3人の患者さんを看取った。まずは故人達に心からの哀悼の意を表したい。今風に言えば、おくりびとなわけですが、ご存知のように法的にこの権限をもつのは医師のみ。六文銭はいただきませんが、三途の川の渡し守の片棒を『担ぐ』ためか、はたまた棺を『かつぐ』イメージからか、お看取りをすることを『かつぐ』といっています。私の周囲だけの隠語かもしれません。
業界用語というやつは、スノッブな雰囲気で使うのは不謹慎なことです。しかし、患者さんやご家族などの素人さんに分からない言い回しを使うことで、仕事を行いやすくする目的ならば不遜ではないと考えます。例えば、午後に長い手術をひかえていれば、病棟で同僚に、「エッセンに行こう」(ドイツ語の essen(食べる)「エッセン」に由来する隠語)と声をかける。病棟には食事を摂れない方や、食事の気分ではない深刻な気分の方もいらっしゃる。消化器外科医としてはニコニコ食事の話をすることは、場を選ぶ性質のものなのです。同様な配慮からの隠語はたくさんあるようです。
また、お亡くなりになることを『ステる』といいます。ドイツ語の sterben(死ぬ)「シュテルベン」を短縮した隠語です。ひびきが軽薄な感じなので、気を悪くする方がいるかもしれない。しかし、ストレートに「亡くなる」というのは病院では忌み言葉ではないかと個人的には解釈しています。言霊信仰は日本人の精神世界に深く根ざしていると思うのです。『お見送り』の後、わたしは時々振り塩もします。お清めという意味ではありません。それでは故人に失礼です。私を仲立ちにして療養仲間を『友引』して欲しくないという願いでの『験担ぎ』です。
さて、今回『お見送り』した3人という人数が多いのか少ないのか、これは職場にもよるのでしょうが、ほかにも夜間・休日の対応が重なったので、今週は少しきつかった。こんな日が続くと、ベテランの看護師さんから、『先生、お祓いにでも行ってきたら?』などと、声がかかります。日常業務を超えた気の重い仕事が続くのは、『憑きもの』のせいという理屈?です。『験直し』には飲みに出ることもあります。御神酒の非日常性で気持ちにリセットをかけるわけです。また、不運な合併症などが続いて仕事が『荒れ』ている場合には本当に神社に『詣でる』こともあります。パワーストーンのみならず先人達の知恵??には人に優しい理由があるのです。
この話、別にみなさんを『かつい』でいるわけではありません。日常と非日常の不協和音にはこうして落とし前がつけられるのです。
注:藪井竹庵とは、落語でヤブ医者の代名詞だそうです。
(2008/10/26記す) |