お父さんのエッセィ

『外科医の当直日誌11 -付け届け、あるいは感謝されるということ-』(2008/12/27)


『外科医の当直日誌11 -付け届け、あるいは感謝されるということ-』


 付け届けのこと。いただく側が書くのは珍しいに違いない。お題を決めたあと数日悩んだ。お金や商品券などをいただくこともあるので、誤解されずに書くのは難しいことだろうと思ったからだ。それでも書きたいのは感謝のことです。
 ずいぶん前に書かせていただいたが、この仕事、時には患者家族に殴られることもある。押なべてみると、もちろん感謝されることのほうが多い。不治の病の患者さんを神様のもとに送り出して、その後で謝辞を述べに来てくださった気丈な姉弟の話もかつて掲載いただきました。最近では、やはり闘病生活のお手伝いしかできなかったある患者さんの旅立ちで印象深いことがありました。ご家族が、黒枠の死亡広告(ある新聞社ではご不幸広告と言うそうです)に『●●病院の手厚い医療のもとで旅立った』という旨の一行を書いてくださったのです。もちろん事前に院長の許可を得ての死亡広告だそうですが、なんとも珍しいことです。これを見つけた職員は、大事にスクラップして、それを私に見せてその存在を教えてくれたのでした。私たちのプライドにかなう感謝の表わし方だと感心しました。もっと軽い話では、感謝の葉書や手紙をくださる方、出張や旅行のあとに小さなお土産をくださる方、また盆暮れに、少ない年金のなかからビール券を数枚購入して、のしまで付けてそっと手渡してくださるおばあちゃんもいます。比較的よく目にするのは、退院の時に詰所にお菓子やジュースを置いて行かれる方でしょうか。
 現在、謝辞以外の金品の付け届けは、公立病院では一切お断りしており、詰所の前に、気遣い無用の張り紙がされています。私どもの病院にしても、付け届けの有無で提供する医療の質が変わることは一切ありません。それはプライドを持って断言できます。ではなぜ固辞せずにいただくのか。それは、包装までして用意してくださった、またわざわざ運んできてくださったその気持ちがうれしいからです。オフィスにもどって、おばあちゃんのくれた包みを開けて数枚のビール券をみたとき、旅先で買ったであろう珍味と対面したとき、今朝収穫しただろう野菜の袋を開けたとき、私は感謝されたとこを喜びます。患者さんはどんな思いで用意してくれたのか、私にはそれを受取る資格はあるのか、私は感謝されるに値するのか自問します。『至誠に悖る勿かりしか』とは海軍兵学校の五省の初句ですが、これも、ある意味そういうことだと思います。
 患者さんのみなさん、付け届けで医療の質は変わりません。第一線の医師の多くはいつも全力投球で、仕事に松竹梅のランクを作るほど器用ではありません。むしろ最近では、理不尽なクレームに遭遇せずに患者さんが退院されれば、それでホッとしていることもあるでしょう。いい仕事に出合ったら、金品でもいいですが、プライドを私どもに与えてください。ちなみに、外科医の私、手術の前にお金なんか渡された日には、気負っちゃって、普段ならありえないミスを犯しちゃうかもしれません。
 最後に笑い話をひとつ。
 かつて同僚が、ある患者さんから、分厚い封書を渡されたそうです。中身をお金だと勘違いして、『いやー、そんなに気を使っていただかなくてもー』と言いつつ受取った彼。オフィスで開封し、福沢さんではなく謝辞と対面して、彼は大いに赤面したそうです。私たちが、その患者さんを悪く思うことなど決してなかったことは言うまでもありません。
(2008/12/27記す)