お父さんのエッセィ

『外科医の当直日誌12 番外編-お父さんのお受験-』(2009/02/27)


『外科医の当直日誌12 番外編-お父さんのお受験-』


旭川は飛行機の便はそれほど良くない。
 2月某日、学会発表2題をこなした。ちょっとしたストレスであった。翌朝一番の飛行機で羽田から旭川に戻り、午前中の診療に復帰した。その日の昼、大学受験のため東京に滞在中の息子から電話が入った。一浪君である。息子いわく、
 『おやじ、いま東京?』(私の学会出張を知っている息子、携帯への電話である)
 『いや、旭川に戻って働いているよ。どうかした?』
 『実は明日の面接試験の要綱を見直していたら、親子同伴面接、って書いてあったんだけど、、、』。
 私、ちょっと絶句。旭川に戻りホッとしていたところだった。明日また東京?。大儀だ。。。だいたいなんで、受験の要綱を前日まで見ていないんだ?説明書きを読まないのは、まさしく母親似だ。仕方ないか。
 『わかった。それで面接は何時からなんだ?』
 面接は午後だった。それなら、明日朝一番の飛行機に乗れればなんとかなりそうだった。
 『母さんと相談して、必ず父さんか母さんのどちらかが行くから、そのまま勉強していなさい。』

   結局、私が上京することになった。翌日の病院業務は同僚に代打を頼みこんだ。面接試験に間に合う飛行機便は朝の一便のみ。週末だったがラッキーにも空席があった。ネットでエアチケットをゲット。一方、その面接では自己アピールの品を持参して説明するという『出し物』があることもその時はじめて聞かされた。(ちなみに、こういうのをアメリカではショーオフという)。これだって、事前に気がつかないというのは、大した家族である。その夜、夫婦で息子の部屋を物色して、持参の品をそろえた。以前に寄稿したアメリカの数学選手権での戦利品・トロフィー多数である。トロフィーは携行に便利にはできていないし、結構重い。今回は破損や紛失を嫌って客室持込である。大儀だ。幸い日帰りの東京再出張であるから他に大した荷物はなかったが。
 そして私は再び機上の人となった。Make our day.

 自慢じゃないが、東京は、学会の場所以外は地理不案内である。都内の移動時間の目安がわからない。道順と所要時間はあらかじめネットで調べておいたが、まずは早めに試験会場へ。電車2本と地下鉄を乗り継ぎ、会場最寄りの駅で息子と合流できた。受付リミットの40分ほど前に試験会場に辿り着いた。午後である。腹が減った。建物内に食堂はないとのこと。仕方ない。待合室にあるお茶で一息つく。周囲を見回すと、面接の順番待ちの親子、出番を終えた親御さんが数十組。何気なく、学校の宣伝の小冊子を手にとってめくる。ふむふむ。この学校はこういう歴史だったのか。ハイソサイアティな歴史に感心しつつ、「こちとらたたき上げでぃ、矢でも鉄砲でも持ってきやがれ」と心の中でつぶやく。
 息子が、おずおずと話しかけてくる。
 『お父さん、面接の時に家庭での教育方針とか、この大学を選んだ理由を、親のほうに聞かれるかもしれないよ。』
 『はぁ?なんで昨日のうちに言わないかな。。。』
 大学を選んだのは私ではなく息子だし、私の教育方針はアメリカ式。自分のことは自分で決める、という簡単明瞭なルール。ただし、やはりアメリカ式に自身の判断に対する結果責任も子供自身が負うというもの。簡単に言えば放任である。しかし、この場合、放任の二文字は禁句だろう。
 どうしようか。
 独立自尊をテーマに、頭の中で自説をきれいに組み上げる。大学を選んだ理由は、さっきの小冊子から大学の売りを読みとって、よいしょの材料とする。アドリブは、毎日の外来診療で鍛えている。とはいえ、心中は穏やかではない。息子の面接で、こんなことになろうとは。とほほ、である。ハイソの和訳は過保護だったろうか。
 面接が始まった。
 『お父様は、息子さんの応援団ですから、どうか精一杯、息子さんの長所を語ってください。』(そら、きた。快活な親を演じるぞ!!)にっこりうなずく。
 面接官も私も医者同士、フランクに会話は進んだ。留学の時の苦労話などは披露し忘れたが、語ればむしろスノッブと思われたかもしれない。少なくとも我々が危ない一家でないことはご理解いただけた。朝からの面接で疲れているはずの試験官たちには箸休めになったのではなかろうか。息子を残し、親は前半で退席となる。お茶は濁した、あとは頑張れ息子よ。
 15分後、息子が戻ってきた。息子もそれなりに神経戦を善戦したそうだ。多くは聞くまい。それにしても、建設的な意味での教育熱心と過保護のバカ親との境はどの辺なのだろう。渦中にいる私に、その辺の哲学は難しい。今後の課題となった。
 何はともあれ、われわれの一日は終わった。会場を発つ。私は羽田へ、息子はホテルへ。
 羽田-旭川便は一日数本なので、5時過ぎの最終便はのがせない。少し時間があったが、空港に向かった。チェックインを終えた4時すぎ、私は、ようやく遅い昼食にありついた。

 夜9時、自宅に戻った。
 『どうして昼御飯を親子で一緒に食べなかったの?』
 妻の質問は鋭い。今回のお受験騒動のように、用意が悪いのは妻の遺伝。そして、昼御飯よりも空港やホテルへと、目標に突っ走る部分は父子相伝なのだと私は思う。妻なら、飛行機を待たせてでも息子と食事をしたことだろうが、ここは分かり合えない部分だ。
 このあと国立系の前期・後期試験が待っている。最終的にどの大学に入るのか、お楽しみはこれからだが、同様の波乱な道程が待っていることは想像に難くない。
(2009/02/27記す)