お父さんのエッセィ

『外科医の当直日誌14 わたしの転勤、あなたの転機』(2009/06/29)


『外科医の当直日誌14 わたしの転勤、あなたの転機』


 医局派遣の勤務医には転勤がつきものです。私も数年前までは、医局人事の渦中にいました。そのころ自分の立場は、ヤクザ屋さんでいうところの鉄砲玉であるという思いがありました。私の所属医局の場合、人事異動は、短くて4か月、長くても2年間隔といったもので、特に若い時期は毎年の転勤が当たり前だったからです。あちこちの病院に飛ばされるわけですから、鉄砲玉です。派遣された先々で技術を学び、一宿一飯の恩義として下働きをするわけです。短期雇用で薄給、それを当直料で底上げですから、医局派遣の勤務医は、文字通り『ハケン』でした。
 約20年前、私の駆け出しの時分。仕事に余裕はありません。経験と知識の不足のため、患者さんや看護師さんたちにはお荷物扱いされたりもしました。でも世間ずれしていませんでしたし、見た目?真剣に働いていましたから、やがて応援してくれる患者さんもちらほら。看護師さんたちも患者さんに不利益が及んでは大変ですから、時には助け船を出してくれていました。数ヶ月たって仕事に慣れてくると、もう転勤の時期がきます。北海道ですから転勤は100~200km離れた街へということになります。新しい環境で新しい同僚や患者さんとの関係は、一からやり直しです。

 そんな中で時に患者さんによる追っかけに遭うことがあります。
 医師になって4年目の春の異動のときには、特急で1時間40分かかる新任地まで来てくださった患者さんがおりました。正直驚きました。病院なのに『お元気でしたか』などと口走りました。まあ、遠路来てくださる体力があるのですからある程度は元気なわけですが。旧任地ではそれなりの数の外来患者さんを抱えていたとしても、新任地では最初はどうしたって閑古鳥です。そこにわざわざ来てくださる患者さんがいることで、周りのスタッフには少し鼻高々な気持ちになりました。もともとの病状が分かっていましたので、対応にも困りません。ただ、その一方で、食事に誘われたり、記念写真を撮られたり。当時すでに妻子もいましたが、その方の娘さんの写真まで見せられたり。半分冗談なのでしょうが、社会経験の足りない私としては、蛇(その患者さん)に睨まれた蛙(私)を連想し、ちょっと引いてしまいました。まあ、それも今は昔。
 それから18年。今の病院は大学から車で20分ほどの距離です。大学病院では外来日はお昼を食べる時間もないぐらいの忙しさでしたが、転任後わざわざ私個人を頼ってきてくださった患者さんは、3名だったと記憶しています。閑古鳥が告げる現実は、厳しいというよりは拍子抜け。診察室の窓から空を見上げる暇がありました。その青さに気付き感動したことを思い出します。どの病院に勤めても、外来患者さんの多くは、医師個人を頼ってきているのではなく、病院の大看板を頼っていらしていることは、冷静に考えれば勤務医なら当たり前のことです。TVで紹介されるようなスーパードクターでない限り、このことは肝に銘じねばなりません。

   ところで、どんな仕事にも、当事者でなければわからない機微というものがあります。外科医の場合、手術の極々細かい経過やちょっとした工夫など記録に残すほどでない事柄があります。近しい同僚医師に、お昼を食べながらの雑談で伝わる程度の話です。ただそういうことが、術後の病状変化を考えるときにキーポイントになる場合もあります。そうまで言わなくても、あなたのことを知っているのが、主治医というわけです。追っかけ患者さんのメリットがここにあります。その一方で、主治医とそりが合わなければ、その転勤を機に新しい担当医に期待するということもあるでしょう。転機です。どちらも、いま流行りの『説明と納得の医療』に帰結しますので、対極というわけではありませんし、患者さんの権利でもあります。遠慮なく権利を行使するべきです。主治医にこだわるのは、患者学のポイントのひとつでしょう。

   ハケン勤務医の転勤。相性のよい主治医なら追っかけるも良し、そうでもないなら追っかけないも良し。しかして私はどうやら後者。いやいや、病院選びの理由は、主治医との関係だけではなく、他の診療科との絡みとか、馴染みの看護師さんとか、交通の便とか、これまでの歴史とか色々ありますよね。ね。
(2009/06/29記す)