お父さんのエッセィ

『外科医の当直日誌 最終回』(2010/02/27)


『外科医の当直日誌 最終回』


 外科医になって23年目。この春、外科医を辞めることにした。したがって、15回を数えるこの当直日誌も本稿で最終である。等身大の外科医の日常を綴ってきた最後に、医師と一般の方の常識のギャップについて書いておきます。

   第一に、病気の深刻さのとらえ方からくるギャップ。
 学生時代、過換気症候群という状態になったことがある。ある実験の被験者として、生まれて初めて採血をうけた時のこと。同級生が私の血管に約3cmの注射針を根元まで刺した。なにも根元まで刺さなくても血は採れるだろうに。そう思った瞬間に、気を失っていた。失神であった。これも生まれて初めてのこと。気がつくと、私は実験用のベッドに寝かされていた。ボーっとしてすぐには力が出ない。深呼吸を繰り返しながら、意識を整えようと試みた。すると、次第に手足がしびれてくるではないか。あせって、さらに深呼吸を繰り返した。手足のしびれは悪化し、指はこわばり、首のあたりまでしびれてきた。首までしびれてくると息ができなくなるのではないかと、恐怖に駆られる。さらに深呼吸を試みた。深呼吸は奏功せず状態は悪化していった。メデューサに睨まれたギリシャ人のように体が石になっていく恐怖でパニックであった。深呼吸の悪循環、これが過換気症候群という状態である。
 私としてはちょっとバツの悪い思い出である。なぜなら、パニック状態の女性が陥りやすい状態と、ものの本には書いてあるのだ。同級生たちはよい勉強になったようだが、私は面目を失った。この症候群は日常診療でも遭遇する。なぜか夜・当直時間に多いのだ。病態はこうである―――不安感から呼吸をしすぎる(過換気)と、人間の摂理として、血液中の二酸化炭素が吐く息から過剰に逃げていき、血液が過剰にアルカリに傾く。これに連動して血液中のカルシウムイオンの状態が変化して、筋肉の硬直を引き起こすのだ。一般常識にはないことだが、酸素も二酸化炭素も、多すぎても少なすぎても問題を起こすのだ。
 こんな仕組みなので、治し方は簡単。血液中に適正な濃度の二酸化炭素が戻ればよいのであるから、基本的に薬は必要ない。過剰な深呼吸(過剰換気)をやめること、もしくは口に袋をかぶせて自分の呼気(吐いた二酸化炭素)を再び吸いこみ二酸化炭素が逃げすぎないようにすればよい。しかし、体がしびれていて呼吸が出来なくなるのではないかと不安感いっぱいになっている人間に、息をしすぎるな、と指導しても理解する人間は少ない。口に袋をあてることだって、その意味を理解していなければ、窒息の恐怖をまねくだけだ。プロセスを理解している医師にとっては、診断さえつけば、大したことのない状態である。べつに命にかかわるような深刻な状態ではないからだ。ナーバスすぎる女性の病気なので、忙しい外来では、まじめに取り合うのも面倒になる。しかし、当人にとっては大問題である。呼吸ができなくなる恐怖と全身のしびれは死の恐怖そのものなのだ。話せばわかるというのは、理性が保たれているうちの話に過ぎない。
 死なないという意味では、大したことのない病気や怪我というのはほかにもいろいろある。そしてこんなギャップが、医師や病院への逆恨みや、医師・患者関係の破綻にもつながる。

   第二は、医学万能神話という間違った期待、理想と現実のギャップ。
 やはり学生時代に体験したギックリ腰。部活のための環境整備で土嚢を担いでいて発症した。痛みで体重が支えられず、寝返りも出来ず、その意味で腰が抜けた状態になった。どうにも動けなかった。腰という漢字は、肉月に『要』と書く、腰は文字通り体の要だと実感した。友人に抱えられて受診した整形外科。医師は、家で寝てればそのうち治ると言い放った。でも、自分としては、腰からお尻のずっしり重い痛みを何とかしてほしかった。。。今にして思えば、その先生は完全に正しい。しかし、今にしても、その先生の態度は冷たかったと思う。それを反面教師として、私自身は、腰痛の人には冷たくしないように心がけている。これも先に述べた重症感の認識のギャップゆえのことである。
 さて、このとき患者心理では、重症感ゆえに、注射一本・薬一粒で何とかしてほしい、救われたいと、現代医学への過剰な期待が膨らんでいる。であるから、『家で寝ていろ』などと言われると、目の前のこの医者はなぜ、すぐに治してくれないのだ、と逆恨みになる。注射一本で仕事に復帰と思って来院されるビジネスマンを怒らせずに諭すのは骨が折れる。これは、医師と患者の現在医学の限界に対する認識のギャップゆえのことである。一般の人の抱く医学万能神話は、まだまだSFの世界の話なのだ。実際の医療では、自然治癒を待つこと(様子を見ましょう、というやつ)もままある。膝痛や腰痛は、部品を交換するように治すことは無理なので、痛みを緩和する治療(悪く言えば、一時しのぎ)を行い、現状を受け入れて病気と共存できる妥協点を探す、ということになる。

   医者を見たら、金の亡者と思えとか、医療事故を疑えとか、これはマスコミの悪しきプロパガンダです。それに乗せられて無過失の医師を逮捕する騒ぎもあったように思います。確かに中には悪い医者もいます。個々の事例は真摯に受け止めます。でも医師全体をバッシングするに足りるデータはあるのでしょうか。全国約25万人の医師のうち犯罪にはしる人間の割合と、マスコミ関係の方で犯罪にはしる人間の割合、また、お巡りさんが犯罪をおかす割合。私は数字を知りませんが、医師が悪で、マスコミが善などという単純化した構図は、言ったもの勝ちの低レベルの議論でしょう。
 医療の限界と等身大の医師像を冷静に理解して、賢い患者学を実践してほしいものです。みなさまのご健康を祈りつつ、当直日誌を閉じます。(注:今後も医師は続けます)
(2010/02/27記す)