お父さんのエッセィ

『バス通学の娘と親バカの私』(2010/04/30)


『バス通学の娘と親バカの私』


 外科医だった私が病院勤務を休職して約一ヶ月たった。次の仕事までの充電期間として人生初の長期休暇を楽しんでいる。掃除洗濯は機械任せだが、私が行っている。しかし、炊飯器にスイッチを入れる以上の炊事をしないので、主夫とまでは言えない。欧米では、大学の研究者などにサバティカルという休暇制度がある。6~7年ごとに与えられる長期有給休暇制度だ。私の場合、有給ではないが、妻が認めてくれているので、家庭内サバティカルといえるかもしれない。

 この4月、ちょうど長女が中学にあがった。小学校に入った時は、5分の徒歩通学が出来るかどうか、大いに心配したものだった。今回は、片道1時間のバス通学である。大都市ではめずらしくもないことなのだろうが、当地では何事も自家用車で用を足す。バスを乗り継ぐなどという経験のない娘のために、入学式の前に、娘と私で、バス通学の予行演習をした。通学時間にあわせて家を出て、バス停の位置を教え、時刻表を確認し、実際に歩く時間も認識させ独り立ちを促した。半日仕事だった。昔と違って、バスレーンが整備され、バスの運行がとてもスムーズだったことが驚きだった。
 ここまでするのかと、親バカとの誹りもあろうが、一部の親御さんは、学校のそばまで自家用車で送迎しているという(ちなみに車送迎は子供の自立につながらないので、自粛するように通達されている)。まあ、50歩100歩であるが、私自身は30歩ぐらいではないかと自己採点した。

 さて、このバス通学のため、娘の起床時間は、それまでの7時30分が、6時と繰り上げになった。目覚まし時計を2個プレゼントしたが、彼女はすぐにアラームを寝ぼけたまま止める術を覚えてしまった。結局ふだん早起きの私が彼女を起こすハメになった。起床を6時としたのは、余裕を持った計算の結果だった。しかし、6時に起こしても、着ていく服を決められず、結局ぎりぎりの時間に、バス停にダッシュする日常になった。そしてバスの乗り継ぎの工夫で、娘はさらに7分の猶予を捻出した。妻もそうだが、当家の女どもは、ぎりぎりが好きなのだ。どうしてこんなところばかり妻に似るのか。
 ところで、サバティカルの私はある意味生活が不規則で、緊張感もないので、時々寝坊するようになってしまった。7時20分に目が覚め、娘の部屋をのぞくと、娘もまだ気絶していることがある。身支度してから1時間の通学では、始業時間には到底間に合わない。結局、寝坊の罪滅ぼしに、車で送っていくことになる。親バカのメーターは、50歩100歩の100歩までいってしまった。

   私にとって、惰眠は、文字通り20年来の夢だった。だから寝坊という贅沢を味わえないのは、ちょっと悲しい。だいたいにして、サバティカルには安息の意味もあるのだ。私が海外単身赴任に出たら、ぎりぎり家族はどうなってしまうのだろうか。ぎりぎりの日まで私はアッシー君(車で送り迎えするだけの無害な男友達をさす言葉)なのだろう。ちょっと不安な春である。
(2010/04/30記す)