お父さんのエッセィ

『元外科医のヒマラヤ修業(1) ヒマラヤン(ネコ)を飼えないか』(2010/08/30)


『元外科医のヒマラヤ修業(1) ヒマラヤン(ネコ)を飼えないか』


 7月5日、単身赴任でのネパール勤務が始まった。みなさまの第一の疑問。小生の新しい役職は、、、日本大使館の医務官であります。
 日本では一般外科・麻酔科・消化器科・癌化学療法などを生業としていました。お気づきのように、それは膨大な診療機器・治療機器、そして医師・コメディカルなどたくさんの同僚がいてこそ成り立つ仕事でした。カトマンズ(ネパールの首都)では、最低限の診療機器そして医療関係の同僚ゼロの環境です。さらにいえば、日本の医師免許では当地の薬局に対して処方箋一枚発行する権限もありません。大貧民ゲーム(知らない方はWikioedia参照)でいうところの革命状態です。で、小官の具体的な仕事は、任国の医療・衛生事情の調査、大使館の一般業務で必要とする場合の医学的助言。そして、邦人の健康相談などです。直接には邦人のお役には立てないということなのですが、昨年の豚インフルエンザの騒動を思い起こしてみても分かるように、全世界で、医療・衛生・保健の動向に注意を払うのは、ボーダレスの時代にはとても重要な職務なのです。そして、その情報の分析は、医学に通じたものでなければ読みきれるものではありません。――なにかと話題の事業仕分けへの予防線はこのくらいで良いでしょうか。

 さて、美しいヒマラヤの話や、当地の世界遺産観光の話は、通な方々のホームページなどに譲るとして、生活者としての雑感を記していきましょう。

 初めてのネパールです。空港に降り立った日の印象。レンガでできた町は概ね茶色。地震かきたら容易に崩れるに違いありません。お迎えの車に乗り込むと、街には人と車とバイクが溢れています。北海道の1.8倍の国土に2900万人ほどの人口(人口密度は200人/km2前後)はそれほど多くはない計算です。しかし、人々は首都カトマンズに集中し、同市の人口密度は1700人/km2とバチカンなみ。皆が車やバイクで移動します。幹線道路でも片側1車線のところが多いため、常にひどく渋滞し、空気はいつも排ガス臭いのです。北海道とはまるで異なる車窓からのながめに、これからの生活への漠然とした不安が沸き起こります。7月、昼下がりのカトマンズ。標高1300mの盆地にそそぐ夏の陽光はきついものがあります。目を細めて、歩道や沿道の商店を眺めます。と、そこここに犬が横たわっているのに気が付きます。伏せの姿勢ではなく、「コ」の字というか「π」の字というか、まるで轢死体のようなイヌ・いぬ・犬。ヒンズー教がメジャーな国ですから、インドと同様に牛が道路に生息しているのは予想していましたが、このイヌ達は何モノでしょう。あとで大使館の方々に聞きましたが、どうにも納得できる回答は得られません。調べてみましたら、犬は黄泉の国の門を守る生き物であり、また破壊の神「バイラ」(シバ神の化身)がお供に連れている生き物だと信じられているのだそうです(JICA HPより)。また、輪廻転生思想においては、犬は次に生まれ変わる時は人間になれるのだと、土産物屋の親爺が語っていました。このあたりの事情が、人口67万人の首都に20万頭以上という犬が生息する所以なのでしょう。牛と犬に優しい国、のどかなものです。口蹄疫や狂犬病もありますが、それはまた別の話。

 ところで、ご存知のように、私はネコを連れた外科医でした。ネコの待遇はどうなのでしょう。これも同僚に聞いてみました。ネパール人スタッフの意見としては、ネコは汚い。ネコは不吉。ネコをみると、験を担ぐために、投石する輩もいるとか。ヒンズー教ではネズミも、神様たちに対して、ある役割を持っているらしいです。しかしだからといってネコがダメという宗教的な確たる理由はないようでした。不当です。ネコを飼いたい外科医としては、当地でネコ(ヒマラヤだけにヒマラヤン)を調達しようと思っていましたので、あきらめきれません。雇用したお手伝いさんに、もしかして、ネコを世話してくれるか聞いてみました。彼女は、我慢しますといってくれました。しかし専属ドライバーさんは、白猫なら我慢するが、クロネコは汚いから。。。などと言い出す始末。どうにも旗色がよくありません。慮るに、数年後の離任の時に、御ネコ様を引き受けてくれる人は見つけられないでしょう。無計画にネコを飼うわけにはいかないようです。ネコ受難の国。愛ネコを無理に連れてこなくて良かったともいえますが、この世界の天井でネコのいない生活を送る羽目になろうとは。。。とほほ。

 蛇足ですが、ヒマラヤン(ネコの種類)はヒマラヤ原産ではないそうです。ペルシャとシャムを掛け合わせた種類だそうです。確かに地理的には、ペルシャがイランで、シャムがタイなら、生まれるネコは、インディアンかヒマラヤンとなるのでしょうが、ネコ受難の土地を名前に頂くとは皮肉なめぐり合わせです。ちなみに、本当はヒマラヤウサギと外見が似ているからヒマラヤンだそうです(Wikipedia)。

 そういうわけで、私の中では、ネパールの偏差値は、この上なく、否、この下なく下がってしまいました。大使館員の仕事は、任国との友好親善を旨とせねばなりません。故に、ネコの話はここまでにします。しかしまあ、牛と犬の国ネパールよ、安心したまえ。どん底の気持ちからの友好親善の醸成は、意外に簡単なことなのだ。なにせ、下がりきった偏差値は上がるしかないのだから。
(2010/08/30記す)
 

牛:スワンヤプナートという仏教寺院の中に入ってきた牛くん。この場所はヒンズーではないんですけど、誰も気にしません。
2010.07, Kathmandu, Nepal
犬たち:日陰に寝てるのは要領のいいワンコたちです。右上隅には日陰に入れなかった普通のワンコも写ってます。
2010.07, Kathmandu, Nepal