お父さんのエッセィ

『元外科医のヒマラヤ修行(5) ヒモは気軽ね(ケガルネ)』(2011/04/30)


『元外科医のヒマラヤ修行(5) ヒモは気軽ね(ケガルネ)』


 まずは、東日本大震災で被災された方々にお見舞いを申し上げ、また落命された方々のご冥福をお祈りします。日本から遠く離れたネパールですが、巨大津波が陸を飲み込む様子を衛星放送で見ました。車や家が飲み込まれていく生中継に、胸がつぶれる思いでした。TVに向かって、おー逃げろ!と声を上げてしまいました。
 そしてこの国からも毛布5000枚の政府援助をはじめとして、多くの方々から日本国に対してお見舞いをいただきました。我が国は平時は援助する立場ですので、複雑な心境でしたが、なにしろ有難いことと感じました。これまで群衆としてのネパール人には悪印象を持っていましたが、人間としての共感のあり様は素直にリスペクトしたいと思いました。

 そんな感謝の思いの一方で、この春、私用ドライバーを解雇しました。赴任時に、前任者から引き継いで働いてもらっていた人でした。仕事は、朝夕20分の通勤の運転。ほかには、車の整備や車を走らせてのお使い仕事。お使いは、電気料金の支払い程度のことですが、ネパール語の出来ない私には不可能なのです。昼間は仕事がないに等しいので自宅待機を黙認という好条件。大使館員のドライバーといえば、ちょっとしたステータスでもあります。ただし、玉にキズなのは、終業時間が不規則なこと。単身赴任の私は、帰宅は軽く外食してからとなりますので、その間、ドライバーは残業となります。残業手当もはずんだのですが、我がドライバー君は、残業が嫌で嫌で仕方ない様子でした。自宅待機に慣れた彼の中では、残業は最早稼ぐ時間ではなく、きつい仕事でしかなくなったのでしょう。一方で、毎晩のように彼の仏頂面を見せられる私もたまりません。英語が通じないため、フォローの会話もままなりません。ほかの事情もあって、結局解雇となりました。

 生まれて初めて雇った使用人に、生まれて初めてクビを言い渡しました。これは、実は非常に気を遣う作業でした。
「失業したら、彼、困るのだろうな」、
「逆恨みされてら嫌だな、刺されたりしたら、自分で治療できるかな」、
「お使いがなくなると面倒だな」、
「でも、十分な給料払っているのに仏頂面見せられるのもつらいな。」
などなど一カ月以上の逡巡のすえ、遂に私がキレたのでした。
 その日、解雇を言い渡すと、彼は涼しい顔で、キーを返還し去っていきました。実は失業しても困らないし、仕事に執着もなかった様子です。逆上してナイフを出されたら、すぐ逃げられるようにと、運動靴をはいて解雇の言い渡しに臨んだのですが、拍子抜けでした。

 次のドライバーを見つけるのにひと月かかりました。大使館の現地スタッフ数人に、信用できそうな人を探してくれるように依頼しました。先ほど書きましたように労働条件は微妙なのですが、良収入の仕事です。待つこと1週間、一人目の応募者が連絡してきました。しかし彼は約束の日に面接に現れませんでした。10日後、次の応募者が現れました。英語も通じるし、運転も確か。ただし、彼は私の車を自宅に持ち帰って通勤したいというのです。それでは私の休日の足がなくなります。条件の練り直しをするでもなく、彼のほうから断ってきました。3人目は英語が全く通じず、結局、一カ月を経て4人目で契約に漕ぎ着けました。給料は悪くないのに、応募者がなかなか現れなかったのは何故なのでしょう。街角では、昼間から暇そうな男達がチェスやカードゲームに興じています。彼ら、仕事はどうしているのでしょうか。失礼ながら裕福そうには見えません。英会話が可能で(中程度の教育を受けていて)運転ができる人は少ないのでしょうか。やはり残業が故に不人気なのでしょうか。

 私の前任者(女医さん)は、「ネパールの男性はみんなヒモよ。」と言いきっていました。この地でキャリアウーマンとして生活しての見識なのでしょう。男たちが仕事に執着しない気質と、その理由を短く言うと、そういうことかもしれません。たしかに、解雇したドライバー君は、実は奥さんの方が高給取りでした。気にいらない仕事など続けたいはずはないのです。定職の確保に熱意のない応募者たちも、そんなものかもしれません。ネパール語で「ケガルネ」という言葉があります。『どうしようか?』という意味だそうですが、『何とかなるでしょ、おら知ね』というニュアンスでよく使われるのだそうです。おおらかな気質をうまく表現しています。
 ところで、ヒモはヒモで、素質と努力が必要です。釣った魚に餌をやる努力とか。そういえば、ネパール人男性はやさしいので、日本の女性にも人気があるそうです。大使館では邦人援護なる業務もありますので、結婚詐欺に近いトラブルの話をたまに耳にします。大概、若いネパール人男性と、小金を持った日本女性の組み合わせです。どっちが釣られた側なのか難しいのですが、話の続きは、ご想像の通りだと思います。蛇足ながら、ご注意を。
(2011/04/30記す)