この6月に7ヶ月ぶりに一時帰国した。昨年、在外公館の医務官になってから、有給休暇なる制度をきっちり利用するようになった。きょうび、民間企業の頑張りや東日本の被災地の窮状を思うと、KYな話題で恐縮なのだが・・・。
振り返ってみると、私は年に2回程のペースで帰国しているらしい。日本に残る家族の用事や、旧知の医療関係者たちとの関係強化(海外で一人で医師をやるためにはバックアップしてくれる友人達は非常に大切)、学会出席、自分の健康管理などが目的だった。
一時帰国の必要日数を考えてみよう。日本―ネパール間は片道1~2日の行程だ。日本での用向きには3~4日は必要だろう。それでとんぼ返りでは、10数万円の旅費(私費)が勿体ない。銃後の守り?たる内地の家族と過ごす数日は大切だ。(里の北海道は外地だが。)そうして勘定すれば、一回の帰朝で10日ぐらいはすぐに経過してしまう。年2回の旅行とすれば、有給休暇はほぼ目いっぱい消えていく。
休暇の消化をことさらひけらかすのが主旨ではない。その立場になれば、それなりの事情が見えてくるということだ。
お国への奉職を決めた時、ある先輩医師に、公務員バッシングの風潮・待遇悪化の話をしたら、『公務員の立場を分かっていて奉職するのだから、文句を言うな』とたしなめられたことがあった。お叱りはその通りと思った。入職時の条件に文句があるなら、止めれば良いのだから。とにかく、その時の条件を熟慮して海外単身赴任を決めたわけだ。しかし、労働条件というのは、不利なことを並べただけのものではない。有給休暇も条件の一部なわけで、誰はばかることのない権利でもある。それに半年に一度くらい、家族の顔を見たいというのは、理由として法外ではないだろう。
私はこれまで、ややもすると公務員バッシングを口にする側の人間だったが、自身その立場となり、事情が変わり意見も変わった。
『立場なりの事情』といえば、気が付いたことがある。
アメリカ留学時代、研究室では、米国の休日や休暇シーズンには休みが認められていた。
成果主義の国なので、休日に働きたい人は働いていたが、休日返上が美徳という価値観とは無縁だった。そのようなわけで、我が一家は、休みを利用しては米国中を観光して回った。寸暇を惜しんで、貧乏旅行を企画した背景には、日本に戻れば、ろくに休日のない勤務医生活に戻るのだから、せめて留学の2-3年間は何でも見聞してやろう、という考えがあったからだ。夫婦と子供二人・すなわち家族みなで留学していたことでもあり、結局その間は一度も帰国しなかった。
翻って、医務官として単身赴任中の現在。まだ1年の経験だが、私的国外旅行は香港3泊4日の1回きり。実は香港は日本とネパールの中間地点なので家族と待ち合わせて数日を過ごしたのだった。奉職後、休暇をやりくりしての旅行は、海外観光ではなく、帰国が主目的となった。その理由は―――これから10数年間、医務官として海外生活するとして、異国を見聞する機会はついてまわるだろうが、死ぬまでにあと何日家族と一緒に過ごせるのか。たかだか数百日しかなさそうだ―――と気付いたからだ。米国生活時代とは考える前提がまるで異なるのだ。
中学生の長女もこれに気付いているのか。単に寂しい思いをしているのか。いずれにしても、おかげさまで、旭川滞在中は『お父さん臭い・汚い』という年頃娘のバッシングには遭わずにすんだ。心やさしい娘は、初夏の旭川を並んで歩いていると、時々そっと手をつないでくれるのだった。
こんな話でたそがれるくらいなら、辞職して帰国すればいいと、件の先輩医師に叱られそうだが、話のポイントは、小生はこうした条件の中で仕事をこなし生活を組み立てているということであり、家族にとっても休暇はとても大切だということだ。
ヒマラヤ修業は、人もうらやむ優雅な境遇ではない。ただ、優雅に見えるようにあらねば、郷里の家族も切なかろう、と思うのだ。こんなご時世にと目くじらを立てないで、有給休暇もエレジーと読み流していただければ幸いだ。
(2011/06/29記す) |