お父さんのエッセィ

『元外科医のヒマラヤ修行13 - - - 夢の話をしよう - - -』(2012/08/30)


『元外科医のヒマラヤ修行13 - - - 夢の話をしよう - - -』


夢の話をしよう。類似した内容の夢を何度も見るという経験はないだろうか。

子供の頃、寝覚めの悪い夢は、おねしょ絡みの夢だった。ストーリーは忘れてしまったが、尿意切迫しつつ、トイレを探し回る夢だ。文字通りの緊急事態に冷や汗をかきながら、探しに探して、ようやくトイレにたどり着き、事に及ぶわけだ。
ご丁寧に、周りの人に念を押したりする。
『本当に出して良いの?出すよ?良いの?』
じょーーー。
ホッとする瞬間だ、が、まさにこの瞬間に目が覚め、布団の中のホットな事態に気が付くことになる。出し始めたモノは止まらない。。。
えーーーっ。またやっちゃった。
一秒前に目が覚めればセーフだったのに。。。
こんな夢を何度も見ていると、終いには夢の中で、これは夢だ、と自覚できたりした。 それでも、結局、夢の中で目が覚めるストーリーに流れて(でも実は眠ったまま)、
『本当に出して良いの?出すよ?良いの?』
のパターンに行き着いてしまい、自分に騙されて粗相をしてしまうのだ。自己嫌悪ものだった。現実の膀胱の緊満を感知した脳が、そんなストーリーを構築するのだと思う。
スイカを食べた夏の夜が、危なかった印象がある。

ほかにも再現性のある夢で思い出すものとして、鬼に追いかけられる夢というものもあった。内容は省略するが、うなされて目を覚ますと、親父のイビキがひどくうるさかった記憶があるので、その恐ろしげな騒音をきっかけに、脳がそんなストーリーを組み立てたのだろうと思う。うなされて目覚め、暗闇の中で怪獣が吠えているのではないかと、怯えたものだった。3-4歳の頃だったろうか、ウルトラQやウルトラマンが興味のど真ん中だった。

また、10代の頃には、よく、空を飛ぶ夢をみた。鉄人28号のようにびゅーんとではなく、ピーターパンのようにゆっくり飛ぶのだ。やはり、そのうち夢の中で、夢と気がついて、
『これは夢だから、もっと飛ぼう』
などと浮遊感覚を楽しんだりしていた。この夢を引き起こすための現実の体性感覚がいったい何だったのか、思い当たらないのだが、ふわふわ飛ぶのは心持ちが良いので、今となっては、続きを見たい夢の一つである。

社会に出てからは、自分の血液型が几帳面なA型であることを恨めしく感じる夢をみたものだ。それは、大学に遅刻しそうだ、何とかしなきゃ、という夢だ。大学まで7-8kmの道のりで、時計を見ればもう間に合いそうもない時刻。自分の車なりバイクなりを探し、次には渋滞のゆるそうな道順を思案する、次第に陽は高くなり、焦る気持ちも積み上がっていくという筋だ。目覚めると、体はすでに起きていて、すぐにでもダッシュできそうだったが、切羽詰った気分で迎える朝は不快だった。これはもちろん体性感覚とは関係ない。目覚ましが鳴るわけでもない。現実生活では、私は遅刻とは縁がなかったから、これは「遅刻はいけない」という強迫観念から、夢が形成されたものだろう。蛇足ながら卒業しても今もって、強迫観念から解放されていない小生は、尾崎豊の『卒業』という歌が気に入っている。早く自由になりたかったと歌うのだ。
実はつい先日、久しぶりにこの遅刻恐怖の夢を見た。大学生活は遠い過去、いまや臨床医生活からも卒業して、ヒマラヤの麓で悠々自適のはずなのに、それなのに、この夢だ。自分でもあきれ、なんだか悲しかった。几帳面な性格で強迫観念がROM化しているらしい。read only memory。改変不能の記憶が潜在意識に染み付いている。神々の嶺々の雪化粧のように、このメモリーだけ白くリセット出来ないモノだろうか。
 オチをまとめたくなるのも、A型の気質だったりして。


(2012/08/30記す)