2月下旬、日本から友人が訪ねてきた。
カトマンズ在勤2年半を過ぎて、ようやく二組目の私的ゲストだ。事務所の同僚の中には毎月のように客を迎えている者もいるので、私などは、外交官には向いていないと、数字で示しているようでもある。
ささやかに言い訳させていただくと・・・今回のゲストは、懇意にしていた元同僚医師(O君)だが、私の知人の殆どは、いま、脂がのっている世代の医師であり、医師のほとんどは3-4日以上の連休は年に1回とれれば良い方だろう。そのなけなしの休暇を、『ネパールくんだり』への旅行に当てるという人間は、相当に酔狂なのだ。
さらに、バックパッカーとしての心得もあるO君に言わせても、非日本語の空港での乗り継ぎを含め、半日以上の旅程は、結構な遠さ(ハードル)なのだという。日本登山隊によるマナスル初登頂は50年前だが、当時ヒマラヤの山と空にあこがれた世代の方々が、現在ネパールにツアーで訪れる邦人観光客の中心層を占めている。しかし彼らはいわゆる悠々自適の世代だ。時間も金も持っている。旅の仕方も異なる。一方、私の世代の医師の中で、ヒマラヤに憧れをもっている人間は、そう多くはないし、時間と金の両方を持っている者も少ないのだ。
さて、今回私は、頭の中のデータベース情報を喋りまくりながら、カトマンズ盆地の世界遺産4つを半日で案内した。観光情報はガイドブックにゆずるが、一寺で世界遺産一つとカウントできるので、それほどタイトな観光ではない。市内を巡っての彼の感想は、私がこれまで指摘してきたことに他ならなかった。ゴミであふれた街、世界遺産もゴミまみれ、交通法規のない街、大気汚染の深刻な街、といったもので、彼は到着の翌朝には汚染空気対策のマスクを買っていた。面白かったのは、彼の写真の被写体の選び方だった。きれいな風景や史跡の撮影は観光の基本だが、他に彼が興味を示したのは、工事中の建物。こちらの建物は、日本の半分以下の太さの鉄筋コンクリートの柱と、柱の間は骨組なしに積み上げられたレンガでできている。何階建ての建物でもこの構成は変わらない。震度3で崩れること請け合いの構造は、日本人には奇異にみえるのだ。ほかに興味を示したのは、プロテクターに身を固め、軽機関銃を持った武装警察のお巡りさん達。彼の眼には、北斗の拳の悪役たちと同じように見えるとのこと。もちろん私が仲介の労を取って、一緒に写真に納まっていただいた。
土産ショッピングも個性が出て興味深い。私の妻(年1回ほど会いに来てくれる)などは、宝石(質が落ちるのか、原石は格安)、ハーブ石鹸、ハンドメイドの服、パシュミナなどを、品定めしつつ値段交渉を楽しむ。今回O君の買い物は、ご家族には、パシュミナやハンドメイドのニット物など、自分用にはマニ車(お経が入ったガラガラ)とク クリナイフ(刃がくの字のなった独特のナイフ)などを求めたそうだ。それぞれの蘊蓄は省略。
さて値引き交渉に関しては、いくつかの基本的知識が必要になる。一つは、円とネパール・ルピーの交換レート。最近の値としては1000円で920ルピーほどなので、大雑把に1ルピー1円見当で考えれば良い。もう一つは、物価感覚。人件費が安いので、輸入物でない限り、物価感覚は日本の十分の一ほどだ。3千ルピーのパシュミナは、日本では2-3万円。散髪料金は、日本では3千円ぐらいとすれば、こちらは3百ルピーほど。路上の無店舗散髪なら、さらに一桁安い。我が事務所のネパール人職員の昼食は、近所の食堂では、おおむね百ルピー以下。といった具合だ。さらに言えば、昨年の政府発表の最低賃金は月額8千ルピー程だ。
これらを理解したうえで値引き交渉をするわけだ。私の見るところ、売り手は、外国人に対しては利益含んだ値引き後価格の2-3倍の値段を最初に言ってくる。ひどい暴利に見えるが、実はこれは一見さんの観光客には、十分通用する戦略だし、どちらの側にもハッピーな範疇らしい。たとえば、最終的に、利益を含めて3千ルピー(仮に原価2500ルピー)で売りたいパシュミナで考えてみよう。最初に言われる値段は、2倍として6千ルピーぐらいだろうか。日本で買えば2-3万円の品と値踏みをすれば、6千ルピーすなわち6千円は値引きなしでも悪くはない。値引き交渉を億劫に思う日本男児なら、ぼられていると思いつつも、現地の産業を育成する気分で、6千ルピーを払うかもしれない。買い手は2万円以上の価値のパシュミナを6千円で買うのだから悪くはない。一方売り手の儲けは、6000-2500=3500ルピーになる。2-3枚売れば月の最低賃金を超えるのだから、彼はとてもハッピーだ。
値引き交渉は、自分の値踏みした金額で買うことを目標に行うわけだ。6千ルピーと言われた段階で、約半値の3千ルピーを目標に交渉を開始するとする。であれば、半値以下の価格、たとえば2千ルピーにならないか、と切り返すことになる。売り手は何を冗談言うか、と不満顔ながら、では4千ルピーでどうか、と投げ返す。先にも述べたが、元々お得なのだから、ここで手を打つも良し、2千と4千の間を取って3千ルピーでどうか、と粘っても良い。3千ルピーで折り合えば、売り手は元々の心づもりの値段なので文句はないし、買い手は、最初の価格の半分にまで値引きさせたのだという、お目当ての品を得たこととは別の満足感も大きいわけだ。ちなみに欧米人や日本人は上客で、中国人は厳しい交渉相手だそうだ。
私の妻は、結構粘るほうだが、O君は、まとめ買いなどの技も入れて少しだけ交渉し、地元への寄付金を含めた額で満足したそうだ。
ここで、絶対にしてはいけないことがある。めでたく買い物を済ませた後、別の店で同じ品を見つけても、値段を聞かないことだ。最終価格が、自分の払った価格より下だった場合、つい先刻味わった値引き交渉の満足感は、敗北感に変わってしまうからだ。
ここまでの話の流れから、O君は満足して帰国したことはご想像の通りで、私の妻の場合は、失意のうちに帰国したこともご想像の通りだ。
(2013/02/28記す) |