わたしのヒマラヤ修行は、この7月で丸3年となった。石の上にも3年。ヒマラヤの岩石もようやく暖まってきたというわけだが、先任の同僚達は一人また一人と異動になり、気がつけば、私がオフィスで一番の古株となっていた。そんな寂しさもあって、精勤の目出度さは中くらいである。一方、一般在留邦人の中には、当地ネパールで十年以上活動を続けている方も珍しくなく、そんな方々と話すときには新参者の気分に戻ってしまうこともある。そして遂に、私にも異動が発令された。次の任地は中米キューバである。発令から40日以内に、新任地に直行し大使館に出頭するのがルールである。このエッセーをご覧いただいている時点で、私はヒマラヤ修行を卒業して、ドクトル・オブ・カリビアンとして『キューバの自由(カクテルの名前)』を楽しんでいるかもしれない。
さて、修行の最後に何を語ろう。人口が故のカオス、交通や医療事情にみる道徳観の違い、美しいが厳しい自然、環境問題など、悪口を常套に一通りの話は書かせていただいた。
つい先日のことである。出勤するため、玄関先の自家用車に乗り込もうとしたとき、ガードマンが、上がりかまちのマットをしきりに指さすのだ(玄関ドアの外側が上がりかまちになっている構造)。マットの脇で靴を履いたのが20秒前、そのマットを指さすのはどうしたことだろう。私は彼がさす指の方向を見た。まだ意味がわからない。車から離れて、玄関に戻ってみる。一歩、二歩。マットを注視する。おお!これはこれは!マットの上には、ネズミの死骸が置かれているではありませんか。マットの色模様がカモフラージュとなって、靴を履くときには気がつかなかったのだ。
まず考えたのは、さっき、靴を履くときに踏んだかも。。おえっぷ!いや、踏んでない。良かった。
次に考えたのは、ガードマン君、私が上がりかまちにのる前に注意してくれなきゃ、踏んだかもしれなかったじゃん!注意が遅い!でもまあ、いいか。ラッキーにも、踏まずに済んだことだし。
死骸をよく見てみる。死骸は、頭部と、内臓だけだった。手足や胴体の外側(筋肉)がないので、正確には『骸(むくろ=胴体)』とは言えないかも。。。そんな状態なのに、マットには出血痕がなかった。となると、殺害現場はマット上ではないらしい。別のところで殺害され、お肉の部分を食べられ、最後にマットに陳列されたのだ、、、ネズミを食べる動物と言えば、、、ネコ、、、おおお、ネコの置き土産なのか。
ガードマンに聞いてみる。『Cat?』『Yes, sir.』
やはりそうなのだ。しかし、ネコが警備員の見ている前で凶行におよんだとは考えにくい。犯行は夜陰に乗じて行われ、ガードマン君も、朝の巡回で見つけたと考えるべきだろう。
そういえば、この1週間ぐらい、台所でネズミの糞を度々目撃し、ねずみ取り用の粘着トラップを仕掛けていたっけ。ネズミ小僧は、私のトラップの横に新しい糞を置くなど、なかなかの知能犯だったのだが、天敵の御ネコ様には、敵わなかったということなのだ。生物兵器恐るべし。
そういえば、数日前、家のすぐ門外で、塀にジャンプして去っていくネコを見かけたっけ。灰色っぽい地のヒョウ柄、短毛でしっぽの長いネコだった。レオポルドをネコサイズした感じだった。『今日はネコを見ることが出来たのだから吉日だ』、とうれしくなった。多分あのネコだろう。
脳裏の思いは、1秒ぐらいの間に完結した。
ネコのキーワードに思い至った瞬間、天井を向いたネズミの頭部と、きれいに剥かれた胃腸と肝臓は、グロテスクなモノではなくなった。ネコが置き土産をする対象となったことは名誉なことなのだ。数日前に見たあのしなやかなネコは、私に、狩の腕前を自慢しに来たのだ(すごい思い込み?)。
実は、妻と私が、25年前に飼ったネコ(アビシニアン系の雑種メス)も、狩が上手かった。彼女(ネコ)を連れて旅をしたとき、旅先(親戚の家)では、夜中狩にいそしんでいた。捕獲したゴキブリの死骸を何匹も、その家の奥様の枕元に並べて、自慢していた。その家で一番偉いヒト??を自慢の相手に選ぶのは、仁義を知っているからに違いない、と勝手に意味づけをしたモノだった。その朝は彼女(ネコ)にチュウするのは止めにしたが、彼女を誇らしく思ったモノだった。
そして、今回、当地で奮闘する私に、御ネコ様からの供物が捧げられたわけだ。ネコが迫害されるネパールでも、たくましく生きているネコがいたのだ。しかも、ヤツは、私を認め、私に自慢したくてお土産を持って来たのだ(勝手な思い込み)。通勤の車上でも、私は上機嫌だった。なんて良い朝だ。
あまりにうれしくて、日本にいる妻と娘に、『ネズミの頭が供えられて、うれしかった』とメールを書いた。よく考えれば、唐突でへんてこなメールである。妻からは、『ネコに認められて、良かったね』と調子を合わせた暖かい返事。一方、娘からは『お父さん大丈夫?』という冷たい反応が返ってきた。
その夜、マットは撤去されていた。当然、お土産もなくなっていた。メイドさんが洗濯と後片付けをしたようだ。まあ、仕方ない。翌朝、マットのない上がりかまちには御ネコ様の足跡がたくさん付いていた。あのマットは、ヤツのモノだったのかもしれない。お気に入りのマットなら、洗濯されてしまっては、ヤツには気の毒をしたかもしれない。それから数日、野良猫をもてなすために予て用意していたドライキャットフードを、玄関脇に置いてみたが、ヤツが食べた様子はなかった。新鮮な餌の方が余程美味しいのだろう。これが本当の『猫またぎ(まずい魚の意)』である。
ネコにフレンドリーな国になって欲しいという意味のエッセーはすでにお読み頂いたが、こんな小さな喜びのスナップショットを切り抜いて、カトマンズからの暇乞い(いとまごい)としたい。
(2013/06/28記す) |