ハバナはフロリダ海峡を臨む港町だ。
3月末から夏の間は、フランボヤンの樹花が咲き誇り空も海も空気も青い(この表現は詩的誇張ではない)。
これを書いている6月の気温は25-35℃位、とにかく暑い。
オフィスのクーラーは非力で時代遅れなので、日が入ると暑くて仕事にならない。
米国の経済制裁を恨めしく思う季節だ。それでも何故かじっとりとした湿度は感じないので東京より不快指数は低い気がする(実際の数字はどっこいどっこい)。
キューバには、いまだ重要生活物資の配給制度がある。
ただ、農家の現金収入のための規制緩和が行われた結果、地物の野菜やフルーツなどは、外国人でも直販市場で手に入ることが出来るようになった。
しかし未だに、ジャガイモは配給・統制品なので、外国人としては、市場の場外(路上)で声をかけてくるキューバ人からこっそり買うしかない。
半分腐った大袋を買わされたことがあると前任者から注意を受けたため、スペイン語での交渉能力のない私はこの一年ハバナでジャガイモは食べていない。
塩も統制品だが、こちらは時期を待てば、外国人値段(現地人の20倍以上の価格設定)で、購入可能だった。よく品切れになるが。
そのほかスーパーマーケットには不定期に輸入品が入荷するが、健康が不安になるほどの超ロングライフの食品だったり、スーパーマーケットの広い棚に、たった2-3品目(食品に限らない話)だけが並ぶような按配で、消費生活を近所で完結するのは、外国人には難しい。
必要な物資の入手方法は前回ご披露させていただいた。
さて、話は変わるが、キューバと言えば1950‐60年代のアメ車が今も走っているイメージをお持ちの方が多いだろう。それは事実である。
クラシックカーのうち、程度の良いオープンカーなどは観光客用で、ボロボロのものは、地元民が格安で使う乗合タクシーになっていることが多い。
60年代以降、共産圏などからの大衆車が入ってきた時代もあり、今も欧州などからボチボチ新車が入っている。ただし、今のところ新車の関税は800%、中古車では1000%超(1500%と聞いているが、、、)だそうで、日本の大衆車が入ってきたとしても、おベンツ並の価格になってしまうので、一般庶民には車は普及していない。
さて、冬から春にかけて、我の自家用車(前任者から譲ってもらったプジョー)が数回故障した。
電気系統の不具合らしかった。
映りの悪いテレビの横っ面をひっぱたくようにして騙し騙しエンジンをかけて修理工場に持っていくと、今は動いているから何処が不具合か分からないとのこと。動かない時は、忙しいとのことで助けに(見に)来てくれなかった。
これでは話が進まない。バッテリーも弱っている様子だったので、とりあえずはディーラーにバッテリー交換をたのんだ。ところが、新品(中古も)バッテリーの在庫がないと返事。さらには、もしもメンテナンスで部品交換が必要なら、部品は自分で輸入・調達せよとのこと。
バッテリー1個さえ正規ルートでは手に入らない国。私も同僚キューバ人も裏ルートを知らず、バッテリーは経済封鎖の向こう側のアメリカから調達する羽目になった(方法は前号で書かせていただいた)。
さらに、修理工場は一見の客は見ないと言い始め、会社名(私の場合、大使館名)でメンテ契約を締結しろと言い出す始末。私用車を修理するのは闇工場のみ、ということらしい。
結局私の車の不具合は、どの工場でも診てもらえなかった。
3か月かけてこの事実に辿り着き、私はキレた。
その車を売りとばして、新車を買うことにした。
外交官の免税枠では、車2台の所有は認められていないので、さっそく車を売りとばした(旧車はサバイバル能力が高く修理工場なぞ必要としないベトナムの外交官が喜んで買ってくれた)。新車の選定でもひと悶着あったが、何とか決めた。
ところが、地元政府の手続きなどが進まず、この2か月、車なしの生活になってしまった。ペーパーワークを2か月待っている、という意味である。OINKとは豚の鳴き声の擬音語だが、隣国での国際常識外の金融・行政慣習を揶揄する隠語でもある(欧米人による造語)。ここではOINC(Only in Cuba)と鳴くらしい。
いま、私はキレたことを、ちょっと後悔している。
ちなみに外国人が安心して使える公共交通手段は、この国には存在していない。
通勤は、同僚の車に乗せてもらっての、少し肩身の狭い生活。土日の買い物は歩いて行ける範囲に限定。文化行事への出席も最低限にし、一部の対外業務に私用車を使っていたが、自腹でタクシーに乗る義理もなかろう、欠席可能なら欠席で文句はあるまい。
それでも同僚たちの好意に支えられ、生活は出来るものだと知った。もう感謝しかない。
だた、車の助手席から見るキューバの海と空が無駄に青くて、ため息が出る。
(2014/06/30記す) |