お父さんのエッセィ

『元外科医のハバナ日記 (6) 有る時にまとめ買いする生活を、計画経済と呼ぶのだろうか。。。』(2015/02/04)


『元外科医のハバナ日記 (6) 有る時にまとめ買いする生活を、計画経済と呼ぶのだろうか。。。』


 習ったのは、小学生時代であったろうか、中学校でのことだったろうか。
 社会主義国では、農産物も含めておおかたの生産物は、あらかじめ出荷数量が、決められている。計画経済という言葉で習った記憶がある。無駄を出さないコンセプトは地球に優しいが、実際に体験してみると(世界広しといえども、これが現実に体験できるのは、現在では、キューバだけかもしれない)、品モノいつも不足している印象しかない。店では寡品種の大量入荷・大量陳列と端境期を繰り返しているため、目当てのモノを見つけられないことが多いので、モノ不足の印象が強いのだと思う。
 さらに端境期を見越して、入荷時には多めに買って備蓄する知恵がつくので、家庭内在庫が発生し、計画された生産数の意味が怪しくなるという寸法だ。ひょっとしたら、流通が良く、不良在庫を嫌う日本などよりも、流通の末端(家庭)では、品モノはだぶついているのかもしれない。
 裕福な国ならば、生産・流通上の歩留まりを生産計画に繰り入れて、余計に生産すれば解決するのでは?とも思うのだが、この国ではそうした解決方法は採用されていない。革命以来半世紀をすぎても、私のこの愚策よりもよい打開策が示された様子もない。一国の運営を司ってきたエリートたちでも解決できないこの問題は、人工的に生み出された近代社会主義が、誕生と引き替えに背負った業なのだろう。

 さて、難しい言い回しは、ここまで。
 この珍なる環境で暮らして、私も時々買いだめをするようになった。日本では、買いだめといえば、歴史的には、イコール、トイレットペーパーである。ハバナでも、まずはじめに家庭内備蓄をしたのは、トイレットペーパーだった。次には、ハミガキ粉。無くなるとその日から生活に困るもので、備蓄が心細くなったときには恐怖すら覚えた。で、気がついてみると、どちらも、任期中には消費しきれない量を備蓄してしまっていた。計画経済に馴染めない私の計画性のなさ。。。どうも、わたしは立派な共産主義者にはなれそうにない。
 さて、『有る時にまとめ買いする生活』で、最近やらかしたのは、小麦粉3Kgにドライ・イースト500gという買い物である。
 一人暮らしの台所で、明かりもつけずに、小麦粉3袋、イースト1袋の意味を、ゆっくり反芻した。。。これも任期中の消費は無理かもしれない。。。
 勝ち気な私は、そこで、一大決心をした。
 小麦粉でいろいろな料理を作るしかない。
 ネットの料理レシピを検索しながら、そのとき冷蔵庫にある食材で、手当たり次第に料理を始めた。私のfacebookのページをご存じの方は、参照されたい(現在、新規の友達申請はお断りしています←facebookは、ややもすると、公務員の不祥事の元。鬼門です)。
 黒砂糖が手に入れば、黒糖マドレーヌ。タマネギが手に入れば、ホワイトソース物(野菜グラタンやドリア)。キャベツが手に入れば、ちくわ玉でお好み焼き。そしてイースト物としては、丸パン。トマトピュレ缶が手に入ればピザ。さらには似たような生地で、プレーンナン、バターナン。メープルシロップをもらえば、ホットケーキ。といった具合だ。加えて、外交官という職業柄、大使閣下の料理人とは親しくしているので、適宜、指導を仰ぐという具合の念を入れようだ。
 体験して判明したことだが、料理は結構、頭を使う作業だ。主婦の皆さんは偉い!!
 料理では、企画、計画、創造、逐次遂行といった機能が駆使してなされるので、大脳の前頭連合野、そして料理器具を使うためには、前頭部の高次運動野が確実に働いている。ボケ防止にもおすすめだ。週末開設の男のキッチンは、普通に日本で外科医をしていたときには、想像出来なかった発見に展開したわけだ。
 ただ一点、困ったことに、口に物を入れる機会が増えてしまったために、私の定常体重も3kg増えてしまった。油はなるべくオリーブオイルを使っているが、メタボが気になる展開でもあるのだ。。。
 私のダイエット+ジョギング論は、また別の機会に書きたい。乞うご期待。

(2015/02/04記す)