約1ヶ月のごぶさたでした。
冬休みが終わった。言うまでもなく私のたった3日の正月休みのことではなく、子供の約1ヶ月の休みのことである。
南国の方もご存じとは思うが、北海道では冬休みは長いのです。いいでしょ!!
しかし、その分、夏休みは短い、、、
さて、夏休みも冬休みも、小学生に付き物なのは、自由研究という名の宿題である。
私の子供の頃も、そうであったが、工作や書き初めなどが定番であろうか。
わが家では、貼り絵、書き初め、雪の研究【本の記事をまとめて、とりのこ用紙《妻は模造紙のことをこう呼ぶ。》に書いただけ】を行った。『わが家では』と書いたのは、親が手伝ったという意味である。
それも、その方針について夫婦喧嘩しながらである。
小学1年生だから、宿題遂行のノウハウを教えつつ、親が手伝った痕が、みえみえでも、『子供も参加しているのだ』というアピールを忘れないように気を配った。けっこう骨の折れる仕事だった。
((子供の宿題を親がやるのは、本来誤った態度だと思うが、初めての経験の小学1年生に、宿題遂行のノウハウを教えるのは、ま、今回に限り大目に見ていただきたい。来年からは一人でやらせて、自立心を育てるつもりだ。))
ところで、話を聞いていると、実は先生の方でも親が手伝った作品は、工作にしても、感想文にしても、明らかに分かるのだそうだ。大人にしてみれば赤子の手をひねるような仕事だから、当然と言えば当然のバレバレだ。先生も親も、つーかーで成り立っているのだ。
でも、問題もある。みえみえでも、バレバレでも、そう言った作品が、表彰の対象となるということだ。
できの良い作品だから当然表彰の候補となるのだろうが、親の援助なしに頑張った子供の立場はどうなるのだろう。
私はそういう宿題を親に手伝ってもらった覚えはない。今にして思えば、私の駄作をしり目に、立派な作品を持ってくる子は、当時も存在した。
そういえば、不思議に思ったものである、、『どうしてあんなすごい発想で立派な作品が作れるのだろう?世の中には、自分とは人種の違う、すごい人間がいるもんだ』と。
もしも本当の天才なら、名誉毀損をお詫びするが、思いかえせば、『親の手助け』は、子供心に手品のように不思議に感じられていたわけだ。今にして気づく私は脳天気だろうか?大人になるまでサンタクロースを信じていた訳ではないが、それに匹敵する幸福者かも知れない。
自分を25年来の詐欺の被害者だと嘆くつもりはない。むしろ手伝われた子供をかわいそうとも思う(わが子も含めて)。
その子の自由な発想の芽を摘んでしまうことがあったかも知れないことを恐れるからだ。
でも、うちの子は、休み中はテレビゲーム以外に興味を示していなかったので、自由な発想の芽に実害はなかろう、、、、。
ともかく、1〜2回ぐらいの助け船ならいいか、、、??。
ただ、もし表彰してくれるなら、親子連名で表彰して欲しい。
わが子が自分の力を過大評価しないため、
そして、親への慰労をこめて!!
| (1997/01/20記す) |