この春(97年4月)、研究のため大学(所属する外科医局)にもどった。大学から給料はもらっていないし、逆に授業料(研究費)を支払っているので、あえて『転勤した』とは表現せず、『もどった』と表現した。その勤務形態は、内部の者にとっては自明のことだが、部外者には不思議な話かもしれない。事情は複雑だが、あえてかいつまんで整理すると以下のようになる。(ひょっとして、法律に抵触する部分があるのかもしれないが、被使用者?の私は関知しない。)
まず、1:私は所属する医局に、研究したい旨を申し出る。それをうけて、2:医局は、医局とつながりのある市中病院(関連病院とよんでいる)に私の『勤務先(所属先)』を確保する。そこで、3:関連病院の長は、私が大学で研究することを承諾し、私を大学に派遣する。身分は研究生という。4:私は、関連病院から細々と給料をもらい、研究と称する大学病院の業務を遂行する。具体的には、研究活動をおこない、一方で研究を指導していただく見返りとして、大学病院ほかの医療を支えるのだ。さらに具体的に言うと、大学病院での医療業務の私の分担は、手術前後の患者さんの状態管理もあるが、時間的に大部分を占めるのは、治療の指示のために、オーダリングシステムというコンピューターの入力作業を行うことと、病棟の雑用である。
大学病院の事務部門は、無給の医員や研究生をオーダリングシステムという電算機の端末機の入力要員として取り込むことで、医療事務やレセプト業務を人件費をかけずに省力化した。一般病院ならクラークとよばれる事務職員が行っていた入力業務を無給要員に移管したことになる。医師が指示を出すという基本的コンセプトを逆手にとった形で、システムに付随して出てきた問題だが、彼らにとっては旨い話だったわけだ。
論調を見れば、私がその業務を好ましく思っていないことが伝わるだろう。あくまでも、ことの善し悪しとは別次元の、気持ちの問題である。書けば角が立つが、業務は精一杯遂行している。ねんのため。
最近、『ER』というTV番組をみた。アメリカの救急医療の現場をドラマ化したものだ。その中で、チーフレジデント(年長の指導的研修医)は、刻々と搬送されてくる救急患者を短時間に手際よく診察し、診断し、指示を出していくのだ。『腹部と胸部のレントゲン写真を撮影し、血算、血液ガス2回測定。生食200cc点滴し、、、、』とてきぱきと周囲のスタッフに指示を出すわけだ。たいした格好良さではないか。医療の内容(やってること)は、日本でも大差ないが、、、、なにかが違うのだ、、、。
仕事には隙間というものがある。労働契約に書かれていない雑用を誰がやるかということだ。たとえば、お茶くみであり、そして、その茶碗を誰が洗うかという話だ。病院だって同じ。検査するなら、だれが検査器具や消耗品を用意し、事後にはだれが検査器具を洗浄し、ディスポ製品の残骸を片づけるか、、、。大学で身分をもった労働者(たとえば、看護婦さんは文部技官という)の労働契約にはそんな条項はないし、法律にも書いてない。法律にあるとすれば、『医師の指導監督の下、、、、』ってな具合で、法の網の目は身分の低い?無給医員や研究生に無慈悲なのだ。そう、我々に雑務のおはちが回ってくるのだ。もちろん少人数ながら補助要員は存在するし、仕事に貴賎をいうつもりではない。ただ、それらに忙殺されて、医師が本来心を砕くべき治療方針の熟考や綿密な立案ということができるのかということだ。鋭意努力はしているが、取りこぼしがないと断言できるものではない。蛇足ながら、最近は、医療ミスがあれば、無給要員といえども大学側にかばってもらえなくなってきているというご時世だ。ぼくらは、医療訴訟に備えて個人で保険に加入している。
要するに私は、雑事で多忙と言うことだ。ほかにも、多忙を極める理由はいろいろあるのだが、、、
心身を病んだ患者さんのよるべ、大病院信仰は、少なくとも国立大学の付属病院では形骸でしかないような気がする。自分の命を託す主治医が実は自分への治療以外のことで多忙を極めているなんて、知らぬが仏(知らない間にホトケになるって意味ではない。ブラックだ!!)。
話を戻します。
あえて言葉の明確な定義はおいておいて、、、医者に医者本来の業務をさせるシステムを作るかどうか、欧米と日本では大きな差があるようにおもわれる。欧米では、医師に正当な給料を支払っているがゆえに、医師を医師として、適切かつ効率的に使用するべく、システム(必要十分なコメディカルを雇用する等)を構築しているのではないか。対して、本邦では、ただだから使ってしまえという根性が歪んだシステムを産んだのではないか。医師過剰とは別次元の構造的問題です。
お国に給金をよこせといっているわけではありません。念のため。
(1997/04/20記す) |