お父さんのエッセィ

『紫煙黙考??』(1997/05/02)


『紫煙黙考??』


この春から、大学病院で、臨床研究に携わっている。
『臨床研究』などというと、仰々しく格好良いが、その本質は、入院患者さんのマネージメントと治療である。 さて、1ヶ月を経て気がついた事柄をひとつ、、、

喫煙問題である。
公共の施設だけあって、大学の付属病院は指定場所以外禁煙である。
しかし、入院患者さんの半数近くは(正確に調べてはいない)喫煙者であろう。
腹部外科病棟の場合、患者さんは手術前後は禁煙を余儀なくされるが、その範疇にない場合は、自由に指定場所(大きなエアクリーナと、パーティションで仕切られた狭いスペース)で喫煙している。(医療関係者は、休息スペースや関係者のみの部屋で勝手に喫煙している。私はタバコはたしなまないので、どんな制限があるのか、詳細には知らない。)
吸わないものには、不可思議な光景だが、彼ら(喫煙する患者さん達)は、喫煙したい一心でその狭いスペースのベンチに整然と腰掛けて、通路を見ながら、紫煙をくゆらしている。
彼らにしてみれば、あくせく通り過ぎる私たちを眺めているのだろうが、逆に私には、その指定スペースこそ動物園の檻のように思われて、私は通り過ぎる度に興味深く中を見ている。
恍惚としているようでもあり、哲学しているようでもある。

病院に限らないと思うのですが、そういう制限の中でもタバコを吸いたい人たちという人間の間には、全くの初対面でも、何か共感しあうものがあるのか、、、
挨拶がわりにタバコをわけあうような、、、
ドラマや小説にも出てくるあの光景ってのは何なんでしょうか?。

事情は病院でも同じで、初対面のねーちゃんとおじさんが、病気とタバコというたった二つの共通点で、連帯感をはぐくんでベンチに並ぶわけだ。異様な光景でもあり、ほほえましくもある。

ただ、消灯すぎてまでの、ホタル族は、団地のベランダだけにして欲しい。
先にも書きましたが、病院内で『みえる』人もいるわけで、しずまりかえった病棟の廊下の暗がりで、よく見るとねーちゃんやおじさんがぼーっと(私にはそうみえる)たたずんでいるのは、慣れないと戦慄の光景でもある。私も、ついにみえるようになったのか、、、と(そういえば、最近ご無沙汰だったっけ、、、??)。

蛇足。
、、、、医局(病院と別棟の研究室)は公共の施設と言っても、一般市民の立ち入らない閉鎖的空間で、上下関係の世界なので、自分よりも身分が上、否、先輩が喫煙している場合、通念的にそれは黙認される。嫌煙権は誰にでも(喫煙者にだって)存在するが、社会的滞り、または、上下関係の弊害としてその権利は行使しにくい。(著者注)、、、、

(1997/05/02記す)