お父さんのエッセィ

『ラベンダー街道』(1997/07/11)


『ラベンダー街道』


 厚手のトーストとアールグレイにおくられて、ぼくは愛車BMWに乗り込んだ。
シルエットの美しいツインハープ橋の上でアクセルを踏む足にちょっと力をいれてみる。橋上では、そのハープの弦の太さに、巨人族の音楽や如何に、とちょと洒落てみたくもなる。エンジンのふけは良いようだ。白亜の医大のたもとを左折し、これを右にやり過ごすと、そこはもう、アップダウンのつづく丘陵地帯である。ヨーロッパ的ななだらかな起伏の風景の彼方に、早朝の十勝岳山系もみえる。アップダウンの道で、上下のGを体感したあと、滑走路横の直線を抜け、谷あいの国道に降りる。程なく、美瑛坂だ。パッチワークの丘に思いを馳せながら、今度は緩やかに左右にワインディングするラベンダー街道にさしかかる。遠目には白いじゃがいもの花畑が点在し、低い丘の稜線には写真の風景になりそうな孤木が散在する。街道脇の花畑はようやくラベンダーの紫が萌え始めている。丘を縫うような道筋を軽いハンドルさばきで下っていくとそこは富良野盆地である。花畑は一転して水田風景と移り変わるが、少し離れた丘の上に散在する、レストランやホテルは、あたかも南ドイツのロマンチック街道に点在する古城の佇まいを連想させ、ぼくの想像力を刺激する。丘の麓の観光花畑も魅力的だが、通勤の残り時間も少なくなり、愛車は田園風景の直線を疾駆する。街道南端のワイナリーを進行方向の丘の中腹にみとめれば、そこは目的地ふらのの入り口である。

 今日は、片岡義男のような書き出しで迫ってみた。

 6月の2週間、私はふらのでの病院勤務を言い渡された。1時間弱の通勤は、天気が良ければ、そして睡魔との戦いに勝てれば、快適そのものであった。現地に宿舎も用意していただいたが、仕事と家庭の都合で何回か優雅な通勤風景を満喫することとなった。

 十勝岳の山裾の丘々はわが医大を擁する神楽の丘まで続いているのだが、それは、北海道の小ロマンチック街道とでも名付けたいような風光だ。地質学的にどのような機転が働いて、南ドイツのような風景になったのか、私は知らないが、10年前、ドイツロマンチック街道を訪れたとき、『これって、いつも見慣れた風景じゃん』と、感動のヴォルテージが上がらなかったことを記憶している。(それで、ロマンチック街の風景に感動しっぱなしの妻に(正確には二日酔いで寝ていた妻に)、是非景色のよい北海道に遊びに来いと粉をかけたのでした、、、、結婚前のこと。)

 ドイツと日本の違いは、観光施設は別として、街道沿いの風景の中で普通の建物の、見栄えの有りなしだと思う。歴史のせいなのか、ドイツの建物は民家でさえ風情がある。それに比べ日本の建物はどうだろう。はっきり言って『ださい』。それは統制のなさといいかえてもいいかもしれない。とても観光資源としての情景構成物たりえない。個人の財産に文句を付けようと言うことではないが、観光資源としての下地があるだけに、いかにも惜しいではないか。アルプスやニューイングランドの建物のように絵になる、北海道の建築というのは何なのか?

 ここいらは、私がバイク小僧だった15年前からのテリトリーですが(医大生達みんなのおデート&ドライブコースでした。)、最近になって、観光花畑と、パッチワークの丘と、麓郷の森と、ふらののホテルペンション群が観光資源としてようやく有機的つながりを持ち始めたように思われる。
 南端にはリゾートホテルもあるし、その途道の風景が『びしっと、きまれ』ば、おデートコースとしては完璧なのだ、、、、。


(1997/07/11記す)