お父さんのエッセィ

『世界の言葉』(1997/07/12)


『世界の言葉』

 2年前のことだが、私と息子は、妻に連れられて??東海岸を訪ねた。
『妻に連れられて??』と書いたのは、一家で旅をしたが、イニシアチブは8割がた妻にあったことを示したいる。ただし、それはことの成りゆきであって、私がぬれ落ち葉だということでは、けっしてない。念のため。

 1週間ほどマサチューセッツ州のニューベッドフォードという町にステイした。ニューベッドフォードは、フェアヘブンの隣町で、フェアヘブンはジョン万次郎ゆかりの地だ。フェアヘブンには、かつて皇室の方のおめみえもあったそうだ。そうはいっても、日本人観光客の訪れない片田舎であり、ご存じの方は少ないことだろう。典型的なニューイングランドの風景の中で、観光ではなく、はだで米国の一般庶民の生活に接っすることのできた滞在であった。

 妻が、学生時代1年間を共にしたホストファミリィは15年の歳月にもかかわらず、妻をわが子としてわが兄弟として迎え、息子をわが孫として甥っ子として大切にしてくれた。

 年老いたホストペアレントは、ご多分にもれぬ、格幅の良い老夫婦であった。裕福なアメリカ文化のためか、それとも日本人には荷の重い高カロリージャンクフードのためか、曲がった膝(変形性膝関節症が相当進んでいるのは、ちょっと見ただけで明らかだった。)は、その歩く姿を見るのも痛々しい有り様だったが、彼らは、遠来の孫のため、ボストン水族館を一緒に歩いてくれた。また、教会のメンバーに声をかけ、手作りの歓迎パーティをひらいてくれた。

 そんな中で観光もしたし、現地民間病院の見学やハーバードメディカルスクールの見物(見学とはいえない程度のもの)もしたが、本日のお題は『世界の言葉』である。その話を書こう。

 わが不肖の息子は、当時5才で、まるで落ちつきのないガキだった。それゆえに、移動の飛行機の中で長時間『いい子』にしていてくれるかどうかが一つの心配事だった。
 旅行ガイドブックには、『飛行中の子供の世話は親の責任』と記されていた。私は、出発前から憂鬱な気分になったが、結果的には、私の責任は大した軽いもので済んだ。
 往きも帰りも、移動にはほぼ一日を費やしたが、彼は、黙々とゲームボーイに興じ、一冊のコロコロコミックを飽きもせず何度も何度も楽しみ、そして睡眠をむさぼって乗り切ったのだ。狭い飛行機の中で騒ぐようなことは、決してなかった。

 彼は、私に似て運痴だが、私に似ず、興味を持った対象をしゃぶり尽くしように研究する探求心をもっている。かれの当時の興味は(いまもそうだが)TVゲームだった(日本の悪ガキとしては、特に秀でたものではない、、かも、、)のだ。興味の対象が英語なら、別の意味で旅も楽、おまけに親も鼻高々だったのだろうが、、、、。
 現地に滞在中、わが一家以外に日本語を話す人間は存在せず、、、私は拙い英語力を総動員して日々の会話をなんとかこなしたが、息子は既に飛行機の中で会話ギブアップ状態、英語カルチャーショック状態であった。私は、自分の会話に集中することで精一杯で、息子の会話のフォローにまではとても手が回る状態ではなかった。彼には、相手が若いねーちゃんなら、自分の小ささと、かわいらしさで、適当にねーちゃんに取り入ってしまうと言う特技がある(通称『テンちゃん』の術:高橋留美子作『うる星やつら』参照)が、さすがにそれはTPOを選ぶ???
 あちらで旧知の家庭を何軒か訪ねた。妻にとってはなつかしい人々だが、息子と私にとっては初対面の外人??だ。わたしは、何とか大人の日本人の武器??『愛想笑い』を駆使してその場をしのいでいたが、息子には秘密兵器;world wide languageがあったのだ。通称『nintendo』それがworld wide languageの正体だ。
 私が、『愛想笑い』で四苦八苦している間に、彼はとことこと、別室(子供部屋)に単身乗り込み、ファミコンをやっているではないか!!!
 そこの家庭の子供達と一緒にTVの前にすわり、いつのまにかコントローラーをまわしてもらい、日頃鍛えた腕を披露していたのだ。そこの子供達は、息子の技に舌をまいて、『この子、すげー奴だ』ってなことを言っている。さらによく見ると、そのゲームは日本にはないもので、初見試技での、賛辞なのだ。
 その後は、親同士のファミコン談義である。親もやはりファミコン(むこうでは『nintendo』という。)をやる。結構、はまるよねーーとか、子供はゲームに夢中になりすぎて困ったものだーーなどなど。そうでしょうそうでしょうーーというわけで妙に納得しあい、親の連帯感も成立という次第。

   『nintendo』は、コニュニケーションを触媒する文化形態であり、『世界の言葉』world wide languageなのだ。TVに向かって背中を丸める子供達に国境はない。対戦型ゲームでは、相互友好の趨勢にはらはらするが、、、、。

註。
『nintendo』(普通のファミコン)は、カセットの形は日本のものとは異なっており互換性はないが、ゲームボーイは互換性がありました。当時日本未発売のゲームボーイカセットを買ってやったものです。
(1997/07/12記す)